その日私は火葬を担当することになっていた。
その日の予定表に、故人の氏名、生まれ年、性別、霊柩車の到着予定時刻、葬儀社名が記載されている。性別、年齢、時間を勘案して火葬炉を決定する。
一番最後の欄に、りきさんの名前を見つけた。
りきさんは去年私が高齢者介護施設を退職する時に、その施設で生活していた。
私は今の仕事をする当初から、私が介護を通して関わった大切な施設利用者、入居者を、関わった家族と一緒に見送りたい旨を上司に伝えていた。
一日数件~十数件ある受け入れや収骨業務を、数人の職員で割り振って担当する。
これまでは知っている名前を見ると見送りや収骨を志願して担当させて貰ったが、私が火葬担当の日に知っている名前に当たったのはその日が初めてだった。
火葬担当はあまり炉前に出ないのだが、上司は炉前で最後のお別れの為に棺の頭元で蓋を開ける役割を私に与えてくれた。
綺麗に死に化粧をされたりきさんは、私が施設で見ていた生まれたままの素肌のりきさんとは別人のようだった。
蓋を閉じる時にも「棺の傍で顔を見て手を合わせておいで」と言われ、有難かった。
1時間くらい火葬をする間、入居の手続きの為にりきさん宅を訪問して初めて会った日の事、施設での様子や大好きな飴を一つ口に入れ目を閉じて味わうりきさんの表情も思い出された。
私が退職の挨拶をした際には
「あらぁ、寂しいわねぇ。お嫁にいくの?」と真顔で言われた事も懐かしく思い出していた。
今年102歳のりきさん。
お骨を出来るだけ綺麗に残したい。
終わり頃「もう少しよ、りきさん」と炉の中へ声をかけていた。
火葬が終わると400℃位まで温度が下がるのを待ち炉から出して整骨をする。
高齢女性は骨が脆い傾向でりきさんもそうだったが、その中に喉仏を完全な形で見つけた時には、整骨していた3人が驚いた。上司にも
「すごいね。思いは通じるんだね」と言われた。
転職から1年経って、ようやくきちんと見送れるようになったと言えるか。
一人一人体格も骨の状態も違うので一件一件が勝負と思って火葬しているが、今回は更に違う緊張感があった。火葬を習得しておいて良かったと思った。炉前で受け入れや収骨を担当すると故人より遺族に主に関わる事になるが、火葬を担当すると故人とじっくり向かい合う事になる。火を止める時には
「おつかれ様、りきさん。これで旅立てるよ」と重責を果たしたような気持ちになった。
喪主として来られた娘様は80代になられて、その日は葬儀もありお疲れのご様子だった。
りきさんの施設入居の手続きに伺ったときに、娘様が
「私だってもう介護されたい年なんです」と言われたのを覚えている。
長寿社会になり、高齢者が超高齢者の介護をする時代になった。