「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

「これだけしか持って帰らせてもらえん」

 喪主様は70代位の女性。

 収骨壺は少し小さめだった。

 収骨壺の大きさも柄も葬儀社で選び、お柩到着と同時に斎場に持ち込まれる。

 収骨が終わり、

「これでよろしければお包みいたします」と告げて、喪主に

「おねがいします」と言われて包んでいる間に聞こえてきた言葉に耳を疑った。

喪主「骨はこんなにたくさんあるのに、たったこれだけしか持って帰らせてもらえん。犬と変わらん」

他遺族「ほんとね。粉にでもしないと入らんね」

 

 これには黙っていられなかった。喪主へ振り返り、

「たくさんお持ち帰りになりたいのですね」

 そして説明した。

 火葬したお骨は全て持ち帰れる。

 全骨収骨を希望するなら、葬儀社に大きな壺を用意してもらうか、壺をいくつか用意してもらって収骨し、収骨に要した壺だけ買い取るようにすることも出来る。

 そう説明して喪主に

「いかがなさいますか? 葬儀社さんにお壺をお持ちいただくことは出来ると思います」と尋ねると、喪主は少し小さい声で、

「・・いいです」

私 「本当によろしいですか?」

喪主「・・はい」

 お骨を全て持ち帰れる事も、壺の大きさを選べる事も、喪主にも、一緒にいる親族にも共通理解しておいていただく必要があった。火葬場で「これだけしか持って帰らせてもらえん」ことは絶対にない。葬儀社での打ち合わせ段階でその壺を選んだのは喪主のはずだ。

 

 

 別の日、収骨をして

「これでよろしければお包みいたします」と告げて

「はい、おねがいします」と喪主に言われたのだが、喪主の後ろで女性が他の親族数人と何か話している。

私「何かありますか?」とその女性に問うと

女性「あ、いえ、いいです」

 そして全て終わり、

私「お疲れ様でございました」と出口で親族を見送っている所へ、さっきの女性が

「やっぱりちょっと聞いてみよう。あの人に。・・いや、この人に」

 あの人とは外で待っていた葬儀社アシスタント、この人とは私のことだった。

 お骨でペンダントか何かを作りたいとの事だった。

私「ペンダントをお作りすることは出来ませんが、お骨をお持ち帰りになるのはよろしいですよ。喪主様がいいと仰れば」

 そこで女性は喪主に熱心に説明し、喪主は「いいよ、姉ちゃんの好きにしていい」と言った。

 親族に挨拶をして見送ってから、喪主とその女性、故人の奥様で喪主と女性の母親が収骨室に戻って来た。

 持ち帰り用の入れ物は持って来ておられなかった。ハンカチ等に包んで持ち帰る事も出来る。葬儀社が斎場に置いている分骨壺もある。分骨壺は湯呑位の大きさの蓋付きの陶器で巾着がセットになっていて、手元に置くこともバッグに入れて一緒にお出かけも可能だ。斎場で分骨証明書を発行する手続きはどちらも同じで、斎場での手続きに関して代金はかからない。分骨壺を選択すると葬儀社へ壺の代金が発生する場合があることを説明した。

 女性は分骨壺を選択され、足趾から頭まで、私が説明しながら一つ一つ差出すと「へえ、これ指」等言いながら箸で壺に入れ、「眉間」を説明して差し出すと「これ、お父さんの眉間って!」とお骨と自分の眉間を示しながら傍の椅子に座って待っていた母親に興奮気味に伝え、母親も驚いて、

「そんなのまで分かるの? まあ、いい仕事をされてのですね」と私に言った。

 専用の巾着に包んで渡すと、女性は大切そうに両手で受け取って

「ありがとうございました」と言った。喪主、母親にもそう言われ、私は

「故人様はとても愛されておられますね」と返した。

 

 当斎場では、収骨後に当家が一歩斎場を出たら分骨も増量も減量も受け付けないことになっている。逆に一旦火葬し焼骨となったお骨を後日引き取ることもしない。 

 なのでしつこいようだが意思確認をする。

 故人のお骨を収骨出来るのはこの場限りなので、出来る限りたくさん収骨して故人を連れて帰ってあげてほしいと思う。遺族もそうだろう。お墓事情や当家の都合で小さめの壺を選んだり、収骨をしないのも、多く見てきた。

 収骨後「残ったお骨は供養させていただきます」と告げる。

 それで遺族に少し安堵する表情が見られるのだが、やはり収骨室を出る前にもう一度残ったお骨を囲んで話す遺族も、離れがたい遺族もいる。

 お別れをする、収骨をする、その数十分だけが私が遺族と一緒に過ごす時間だが、故人との関係性や遺族の雰囲気は伝わってくる。

 後悔をしないように。

 私は出口に立ち、残った遺骨から離れて収骨室を出る遺族を見送る。