「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

丁寧で親切な対応を心がける

 私の勤める斎場は公共施設でありながら、PFI方式(Preivate Finance Initiative)で民間企業が火葬業務を行っている。

 定期的に統括する支店からモニタリングを受け、日々の職員の対応や施設設備管理、環境整備等チェックがある。

 モニタリング結果報告に支店管理者が来訪された際に、管理部に採用された新人が同行していた。この業種は初めてらしく、火葬後に職員が整骨をするのを見ても新人の頃の私と同じでお骨の形や位置が分かっていない。その後私が収骨をするのを見学される事になった。「いつも通りで」と言われて収骨を始めるが、緊張する。

 その遺族は火葬前に棺の蓋の顔部分を開けてお別れをするとき、故人の顔を擦り、「手はどこ?」と棺の中程まで自分の手を入れて触っていた。お別れの時もだが、火葬された故人の遺骨を見てもまた涙が止まらない様子だった。

 骨壺に全身のお骨をあらかた収めてから、手元供養用に小さいお骨を少し持ち帰りたいと言われた。

「お別れの時に手を触っておられましたね。ここに手の指がありますが、お持ち帰りになりますか?」と手指と思われる小さなお骨を近くに置き示すと、そのお骨を見て私の顔を見た。

「え? これ? 手? わぁ・・」と大切そうにハンカチに包み、

「ありがとうございます」と嬉しそうな、ホッとしたような様子で帰られた。

 収骨室の外の離れた場所から最初から最後まで見ていた新人さんが、管理者に私の収骨はどうだったかと尋ねられて「親切でした。丁寧でした」と答えたらしい。現場責任者がそれを聞いていて後で私に言った。

「親切で丁寧なのが天然さんの持ち味だし良いところだから、このまま続けてね。それで時間がかかり過ぎちゃいけないけど」

 

 収骨の際に、少し会話が出来て場の空気が和む時がある。

 下顎を収める時に歯の痕や実際に歯が付いていて

私 「歯がありますね。ご自身の歯ですか?」と尋ねると

遺族「ホント!歯だ! 食いしんぼだったよね」と笑いが起こったり。

私 「ここに手の指が並んでおられます。収められますか?」と尋ねると

遺族「へえ、これ、指なんだ! 器用だったよね。編み物とかやってた」とか「両利きだった」とか。

私 「もう少しお壺に入りそうですが他に収めたい所がありますか?」

遺族「『走りたい』って言ってました」

私 「『走りたい』ですか! では・・ここに踵がありますね・・これは膝の皿です」

 ・・足から頭まで説明しながら一通りは収めているのだが、そんな風に会話をしながら進めるとまた雰囲気が変わって遺族同士も私とも距離が縮まる気がする。

 火葬場という特別な場所や、慣れない空気感で「辛気臭い」と思われがちだが、最後は「悪くなかった」と思って帰って欲しい。

 

「手」は特別な力を持っているのかもしれないと思う場面があった。

 奥様の収骨をされた高齢の喪主様は、隣の若い男性に何でも教えてもらって動いていた。最後に少し持ち帰っていいかと隣の男性が言い、ティッシュを1枚出した。背骨や顔等示して説明したが、喪主様は手指の先の小さなお骨を一つ選んでティッシュに乗せ、大切そうに両手で包んで「宝物ができた」と小声で言った。故人様は心から愛されていたんだと感じた。