「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

「全骨収骨」に拘らなくても

 斎場で焼香が終わるとお棺を炉へ収め断熱扉を閉めて火葬が始まる。火葬が終わって温度が下がるのを待ち・・と言っても400℃を切った辺りなので熱々だが・・断熱扉をこの時初めて開ける。骨受け皿には木製のお棺に使われていた釘類、排気ファンやボイラーの勢いで炉内で動いたお骨やお棺に入れた物が一緒に燃えて混じっている。一見人の形には見えない。それを収骨の際に説明し理解出来るよう足関連のお骨は足元、顔や頭関連のお骨は頭元の辺りに集めてあらかた整骨する。お棺の中に入れられた眼鏡のフレームや帽子のワイヤー、人工関節等骨受け皿に燃えた状態で残っているものも全てそのまま遺族にお見せする。

「人工関節に助けられたから」とお骨壺に入れる方もいるが

「あちらでは軽々と歩いてほしいから」とお骨だけを入れる方の方が多い。あくまで遺族の意向に沿う。

 火葬を担当する者は出来る限りお骨を壊さないよう気を付けながら火葬している。それでもお骨が脆く体のどこの辺りのお骨か分からない事は残念ながらある。

 足、腕等全身の形あるお骨を骨壺に入る量程収める場合が多いのだが、時に全骨収骨を希望される時がある。予め葬儀社もしくは遺族よりその希望を聞いておくと、釘を除ける磁石や灰を集められる道具を収骨室に準備しておく。

 先日1件あった。

 葬儀社で購入された骨壺一つに骨受け皿に残っている残骨灰含め全て持ち帰りたいと言われたのだが、大きめではあったがその骨壺一つでは量的に入らない。葬儀社にお願いしてもう一つ用意するかと尋ねると「いや、それはいい」と言われる。形ある足のお骨を集まった遺族に代わる代わる箸で入れてもらい、足部分の小さくなっているお骨を隙間に入れ、足元の灰を集めて入れていると赤い火の粉が見え「まだ火が点いてる」と周囲の遺族から声が聞こえる。上半身、頭も同じように入れられるよう、骨壺に入れたお骨を小さく砕いている。

 ああ、砕かれてる・・と思いながら、私は見ていた。

 足の後、上半身、頭も同じように入れ、骨受け皿にはもう少し残っていたが「これ以上は無理」と遺族も納得されて蓋を閉じた。壺は重く熱を帯びていたので「お気を付けください」と伝えて渡していた。

 

 どうして全骨収骨にこだわるのだろう。

 残ったお骨がどう処理されるのか気になるのかもしれない。

 骨壺に入る量程を最大限持ち帰りたいのとは違うのか。

 

 収骨を終えて骨受け皿に残ったお骨は灰も釘も眼鏡フレームも人工関節も一緒にして決められた袋に入れ一所にしまう。一度締めた袋を開ける事はない。自治体と契約した業者に定期的に回収され、この段階で私達の手を離れる。

 その後色々混じった物と分けられ、最終的にお骨と残骨灰は合同で供養塔に収められる。けっして廃棄されるのではない。

 私達職員は遺族への対応やお棺の扱い方、火葬後の残骨灰の管理まで指導されており、内外チェックが結構厳しい。業者も回収に来る際や事前連絡等、担当者が変わっても同じように丁寧に対応されている。

 私自身この職に就いて神様や仏様の存在を意識するようになり、思い過ごしかもしれないが何かにつけ不思議な力が働いているような、守られているような気がする。多分、関わっている誰もがそう感じているだろうと思う。

 ご遺族にとって大切な故人様のご遺体からお骨まで、斎場からその先までも大切にされているという事を理解し安心してほしい。