「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

「ブラック企業」を逆手にとって

 「ブラック企業」を検索すると、

厚生労働省においては定義をしていないが一般的な特徴として

と記載してあった。

 これまでいくつかの企業を渡り歩いてきて実際に感じたのは、

  • 離職率が高く労働者を使い捨てにする傾向がある
  • 翌月の希望休は今月の〇日締切で2日(2回)まで。その後の変更は不可
  • 制度上有給休暇はあるが取りづらい
  • インフルエンザやコロナ罹患者に特休は無く有給消化となる
  • 予防接種やワクチン接種は個人の判断で自費(コロナは今年まで無料)
  • 業務は山ほどあるが残業を推奨しない。残務を持ち帰ったりこっそり出勤しているため、時間外労働を申請出来ない

 その結果、精根尽きて辞めてしまう。励まし合って、愚痴を言い合って乗り越えて来た同士が一人、また一人と消えていく。いつかは自分だと思いながら仕事をしていた。     

 自身の責任感や顧客への信頼を得て身を粉にして働く労働者に、企業は支えられていると感じる。

 しかし最近、雇用する側もされる側も暗黙の了解で上手くいっているんだろうなと思う出来事があった。

 

 葬儀社や、葬儀社と契約のある事業所からの派遣で、葬儀から斎場や寺社への取次など遺族を担当もしくは案内誘導をするアシスタントがいる。結構入れ替わりが激しいので、大変な世界なのだろうと推測している。

 私が勤める斎場でも、新人としてアシスタントを紹介される時がある。

「この人は社員さん」と言われる時もあるが、葬儀社の社員だったり、パートだったり、契約事業所からの派遣でも、斎場職員として私達が接する内容に変わりはない。

 

 ある日、受け入れ締切時間ギリギリに霊柩車が到着し、遺族をお別れ、収骨へと案内をしていたベテラン風の私と同世代かなと思うアシスタントOさんに話しかけた。遺族は収骨が始まり、Oさんはそれが終わるのを出入口で待っていた。

私「お疲れさまです。もう真っ暗ですね。今日はこれで帰れるんですか?」

O「今、6時でしょ。この遺族はこれで終わりなんだけど、隣市の葬儀社で通夜があるから宿直さんへ引き継いで、終わるのは7時くらいかな。私、隣々市から来てるからそっちまで帰るの」

私「大変ですね。じゃ、明日また葬儀があるんですね」

O「そう明日午後1時だから12時には出社するんだけど、他にやらなきゃいけない事あるから朝9時半には出社する予定」

私「パートさんですよね? その分の時給が出るんですか?」

O「ないない。ブラックよ。このB社に勤めて32年。人(社員)足りないのにお客はいるから。私もう年金貰いながら働いてるのよ。忘れちゃいけないから予定を紙に書いてる」

スマホケースのポケットに近日の予定を書いたメモを入れている。

 なんと、私より10も年上だった。

O「髪染めて短く切ったよ。顔のしわは隠しきれないけど。働いてなきゃ、家にいたらボケるボケる」と笑う。

 月のうち休むのは1日か2日だと言う。私は自分が月7日公休でも少ないと思っていた。

 ある程度自分の裁量で仕事を進められて、B社との暗黙の了解的な範囲があるのかもしれない。

 B社はOさんを放さないだろう・・いや、案外「困るなあ」と言いつつ他のパートさんと同じようにあっさり手放すのかな。

 Oさん程の人ならもっと対価を払ってくれる所に所属してもよかっただろうにと思ってしまう。

 会社の為だけに働いているのではないだろう。

 小柄だけどテキパキと頼れる印象のOさん自身が積み上げてきたものや、現在のモチベーションとなっているものを、想像してみる。

 思い返せば介護をしていた頃の自分もそうだった。

 やりがいはあった。

 介護の知識も技術も学び、介護福祉士とケアマネジャーの資格を取り、介護現場で高齢者と関わり、状態や状況を把握して医療や家族との間を取り持ち、書類を作成する。

 現場は常に人員不足で業務と時間に追われ、電話や外部者との面談、役所手続きや病院受診に同行する。書類は主に休みの日に自宅の食卓に書類を広げて構想を練り、職場のパソコンで仕上げ作成していた。シフトで現場に入る時以外は閉め切りに間に合うように自分で時間を作ってしなければいけない事を順序立てて処理する。ある程度認められ頼りにされている実感もあった。会議や面談等の理由が無ければ時間外勤務の手当など無い。

 パートさんに「いつも居るね」と言われていた。

 辞める随分前から身体は悲鳴を上げていた。

 でも人が足りないから、自分が辞めるわけにはいかないと思っていた。

 在職中から求人を見るようになって、介護の求人は引きも切らずあった。

 今の仕事の募集を見つけて、かなり迷った。

 このブログでも多くのコメントを頂いて私の心は動いていった。

 取得した資格も「せっかく取ったのに」とよく言われるが、斎場には高齢者や車椅子、杖の必要な方の来訪も多い。これまでの経験は決して無駄ではない。

 暫く忘れていたが、ほんの数分Oさんと話した内容が自分の過去とリンクした。

 生き生きと信念を持って役割を果たす女性のお手本を、こんな近くで見つけた。

 32年はすごい。

 私は10年でギブアップした。

「自分のペースでね。無理はしないの」というOさんの言葉が、長続きの秘訣だと感じた。・・でもそれかなり無理じゃない?と思わなくもないが・・

 今の私の仕事はシフト制で月の公休日は7日。その日の業務はその日に終わる。私個人が抱える仕事は無い。職場を出てから休みの日も仕事の事は考えなくて良いと思っているのだが・・もっと考えたり気付いたりすべきものがない? そう考えさせられる出来事だった。