「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

子供の好奇心に答える大人の責任

 

今週のお題「練習していること」

 収骨の進め方は職員それぞれだと思うが、私は収骨中喋り通している。

 一つ一つお出しするお骨を、これは体のどの部位のお骨だと私が分かる限り伝えている。気にしない、又は聞きたくない遺族はスルーして構わない。

「え? どこの骨って?」と聞き返される時もあれば、

「膝ね。私は膝を入れたよ」と骨壺に収めながら呟く遺族もいる。

「よく分かるね」と言われる時がある。私もこの仕事を始めた当初はまるで分からなかった。毎日何体も整骨をするうちに見る目も養われていく。股関節を足の付け根と言ったり、大腿骨を太もものお骨と言い変えたりして、分かって貰えるように説明を考え遺族の反応を感じながら収骨をしている。

 ある時、

「この仕事をするのに何か資格が要るんかね? 解剖学とか」

と尋ねられたことがあるが、この仕事に就いて会社から取得を勧められたのは危険物乙四だけだ。この時は

「いえ、勉強はしますが特に資格は無いです」と答えた。

 実際、骨受け皿にバラバラになっている状態で「この骨見てよく分かるね」と不思議がられる事は多い。

 先日、収骨が終わって風呂敷で包むために「少しお待ちください」と伝えた時だった。子供の声で

「あの・・」と聞こえて振り向いた。

 小学生位の男の子が真っ直ぐ私を見上げている。

「はい?」と少し近寄り姿勢を低くした。

「どうして分かるんですか?」と言う。

 傍にいた母親らしい方が

「どれがどこの骨って、説明されたから」と言った。

 少し考えた。相手は子供だ。難しい事は言えない。かと言っていい加減な事も言えない。

「お勉強しました」と答えた。

私「理科室に骨格標本がありますか?」

男の子「?」

母「まだ一年生なので、理科室はこれからです」

私「興味を持たれたんですね。これからお勉強されますか?」

男の子「(私を真っ直ぐ見てこっくり頷く)」

私「頑張ってくださいね」

男の子「(ずっと私を真っ直ぐ見てこっくり頷き)はい」

 傍にいた父親らしい方も男の子の頭を擦り、一緒に「ありがとうございました」と言って3人で収骨室を出て行かれた。

 上手に子育てをしておられるなぁと感じた。

 子供の疑問を、直接本人から私に尋ねさせたのだろう。

 知らない大人に声をかけるのは勇気が要るに違いない。

 親は傍に居てフォローも忘れない。

 子供にとっては親が傍で見守っていてくれる安心感は絶大だ。

 始めは好奇心かもしれない。

 興味を持つと知りたくなる。

 知りたい事を勉強すると分かるようになる。

 分かるようになると面白くなる。

 面白くなると更に興味が湧く。

 その過程のどこででも止めることは出来るが、掘り下げて学ぼうとする姿勢が在るか無いかが人間形成を大きく左右する。

 それこそが勉強する意義であり醍醐味とも言える。

 10年後、20年後にこの男の子がどんな少年、青年になっているか見てみたいと思った。

 こんな答えで良かったかなと思うと同時に、私はこれからも「聞いてみようかな」と思って貰える雰囲気で遺族をお迎えしようと思った出来事だった。