「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

地元斎場ならではの出会いは複雑

 地元の斎場に務めて早1年半になる。

 当然だが、知っている人に結構出会った。

 先日は私が初めて介護に携わった施設で主任をしていたSさんが、お母様が亡くなり遺族として来場された。

 S家のお別れの時には私は他家の収骨を担当していてSさんとは会っていなかった。

 S家の火葬が終わり収骨を担当することになり、収骨室前でお迎えした。

私「お待たせいたしました」と下げた頭を上げる前だった。

 いきなり右腕を掴まれ、

Sさん「えー!? なんで・・」

 私の目を正面から見たその顔は「なんで・・こんな所にいるの?・・」と言っていた。

 思い起こせば10年以上前、ハローワークの壁に貼ってあった「介護職員基礎研修」の6か月間の基金訓練を終え、初めて居住地隣市のデイサービスセンターに就職をした。数年間1階の一般デイサービスに勤めた後、2階の認知症専門デイサービスに配置換えになった時にその認知デイで主任をしていた女性だった。

 介護の仕方というより、人間臭さというか、人が人の介護をする上での気持ちの在りようを教えてくれた人だった。 

 一人息子様が私の娘と同じ高校の一年先輩だったこともあり、母親の一面も見せてくれた。

 そのデイサービスセンターに勤務しながら私は介護福祉士の国家資格を取得し、ケアマネジャー資格を取って「ケアマネジャーになります」と言って退職した。

 なのになんで・・こんな所にいるの?・・と思われるのは当然だ。

 そのデイサービスセンターを退職後私は居宅支援事業所に就職してケアマネ業務をし、その後高齢者介護施設で介護兼ケアマネ業務をした。そして今私は介護のその後に携わっている。

 収骨をしながらSさんは喪主であるお父様と息子様の間に居て、かいがいしく2人の世話を焼いていた。その様子を私は変わらないなあと思いながら微笑ましく見ていた。

 収骨が終わると

「ありがとうね。ほんとにありがとう。(小声で)これ・・」と隣の背の高い息子様を嬉しそうに指された。息子様もちょっとはにかんだように私に会釈した。

 高校から大学にかけて反抗期だった息子様との葛藤でSさんが涙を流す姿も見ていたので、何だかホッとした。

 

 全国の斎場は各自治体が管理しており、私が勤める斎場は近隣3市から成る共同衛生施設組合の管轄となる。故人又は喪主がこの3市に住所登録がある場合と他地域からの受け入れでは火葬料金が異なる。

 当然ながら地元の人が地元の斎場を利用する場合が多い。

 私が介護で関わった元介護保険利用者の最後をお見送りしたいからこの斎場に就職したが、地域の見知っている人が遺族として来場する事は多い。が、私に気付いているのかいないのか、直接声をかけられる事は少ない。

 地元ならではの悩みではあるが、もしもの時には他職員に伝えて担当を代わって良いと責任者に言われている。

 しかし故人の氏名は当日知らされるが遺族との出会いは突然である為、流れで最後まで担当する場合が多い。

 職場の中でも他地域からこの斎場に勤めに来ている職員は気が楽だと言う。

 なかなか難しい。