「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

死後を考える

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと

 私の2022年は転機の年だった。

 介護の世界で利用者を看取る事はあったのだが、今はお棺に入って葬儀社から霊柩車に乗って来る故人を受け入れ遺族と共にお見送りする仕事をしている。故人はその間に身体を綺麗にして化粧もしてもらい、お葬式を終えてから来られる場合もあるし、火葬後に骨葬をする場合もある。収骨をしないという選択をされる場合もある。

 収骨を担当すると色々な遺族の考え方に接する。

 故人が遺族にどんなふうに慕われていたかを感じる。

 

 年末年始に実家に帰省するにあたり、我が家でも当家の方針や舅の意向を聞いて欲しいと夫に話した。

 そして夫に「あなたはどうしたい?」と尋ねてみた。

夫「どうでもいい。任せる。どうしたからといってあの世から降りて来たりしない」

私「ほんまやね⁉」

夫「いや・・多分・・」

私「来ちゃいけん(笑)!」

 拘りは無いが、自分自身の死後の事を具体的に考えて伝えた事はこれまで無かった。

 数か月前に市役所から「エンディングノート」が発行されたので夫と私で1冊ずつ持っている。

 自分があとどれくらい生きるか分からず、これからどんな世界を見るのか分からず、今と20年後では希望も変わるかもしれないし、自分の死期を悟ってエンディングノートを仕上げられるとも限らない。

 

 辛くて人生なんか今すぐ終わってしまえばいいと思った時期もあった。

 歯を食いしばった先に今があると思えば「よく頑張った」と褒めていいか?

 もう少しお金があれば、もう少し休みがあればと欲も出るが、今よりお金や休む暇が無かった時期があったし、私よりお金や休みが無い人もいるかもしれない。ただ、そのどちらもある人を羨んでしまう。

 今年、息子が社会人になり一つの区切りになったというか、肩の荷が下りた。

 息子が「俺が働くから母さんは仕事セーブしていいよ」と言ってくれたのが嬉しかった。

 時間や業務に追われストレスに押し潰されていた頃に比べ、今は周りの色んな人の言葉や気持ちを思い返し、考える余裕がある。

 その時その時で考え、行動し、省みながらまた進む。

「地に足を付けて」とはそういう事を言うんだと、ようやく理解した。

 2023年は自分自身の為により良く生きたいと思う。