「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

斎場の意義とお別れのあり方

 斎場には様々な方が来られる。

 不思議なのは、他者がするのと同じ行為を形式的にするだけの、故人に対して何の思い入れも無いのが明らかな参列者だ。近親者ならいざ知らず、どう見てもそうでない場合が多々見受けられる。

 通夜を済ませ、葬儀を済ませて斎場に来るのだから、そのどこかで「これで失礼します」とは言い出しにくい?

 先日、炉前で故人に最後のお別れをして棺を炉に収めた後に

「では私達はこれで・・」と喪主に挨拶をして斎場を出た方々に「大人」を感じた。

 小さい子供を抱いて炉前で家族でお別れをした後、収骨は奥様、ご主人は子供を抱いてロビーで待っていたのも、好感が持てた。

 私の考え方が古いのだろうか。

 小さい子供が場所を心得てお利口に出来るとは限らないし、聞き分けがないのも仕方がない。公共施設や飲食店等で子供が騒げば叱るし、ぐずると夫か私のどちらかが子供を連れて外に出ていた。「周囲の迷惑にならないように」と考えていたからだ。

 子供だけの問題ではなく、大人も変わってきたように思う。

 冠婚葬祭は義理の場面、挨拶だけの場面、立場上参列すべき場面とそうでない場面があるはずだ。

 会館や控室で子供が騒いだり走り回ったりしているのを、大人は止めるどころか関せず、大声で談笑している。

 一番危ないのは収骨をする際の台車が熱いので気を付けるようこちらが促している傍から、聞きもせず台車に子供が近寄るのを、こちらが体を張って止める事が少なくない。

 親が諫めないのに他人がとやかく言うわけにもいかない。

 葬儀社アシスタントに「職員さんからハッキリ注意して」「だらだらする遺族だからそちらでさっさと切り上げて」と言われる時があり、葬儀からその遺族を担当し斎場へ引率して来るアシスタントの苦労が伝わり、こちらの心構えが出来たりする。

 斎場は公共施設であり故人を見送り火葬をする場所である。その人を偲び、生命の尊厳を静かに考察して頂く場であることを理解してほしい。