「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

自立以上(?)介護未満の母

 80代前半の父と70代後半の母は2人暮らし。私は私の家族と市内に住んでフルタイムで働いている。

 母から「庭のキュウリとゴーヤが元気です。取りに来ませんか?」とメールを貰い、仕事帰りに寄る。

 以前は帰りが遅くなるからとか、次の休みにとか理由を付けてあまり行かなかったのだが、最近はなるべく行くようにしている。

 父が庭の畑で尻もちをついて立ち上がれなかったり、母が圧迫骨折で入院を勧められたのに父を一人で家に残しておけずに入院を断り家事をした等の話を後から聞くという事が続き、そろそろ見守りが必要になってきたと感じるからだ。

 いつも事後報告で、行かなければ私は知らず終いだったり、随分日数が経って聞かされたりするため「何かあったら知らせてね」ではなく「何もないか確認しに行く」スタイルをとる事にした。

 先日母から「旅行に行ったら店先で大々的に転んだ」とメールがあり実家へ行くと肘と膝に大きな湿布を貼っている。詳しく当時の状況を聞き打ち身や擦り傷の状態をみた。旅行後帰宅してから痛みが出て慌てて湿布を貼ったと言う。週末だったが救急にかかる程でもないと判断し、週明けに傷や痛みの具合をみて診察を受けるか判断する事にした。

 日を追って打ち身の黒いあざが青くなり黄色くなり範囲が広がっても痛みが和らぐようなら回復傾向だから心配せず様子をみるようにと伝えると、数日して「当たると少し痛いが、何より気持ちが楽だった」と母が言ったので、やはり定期的に様子を見るのが良さそうだと感じた。次の定期受診の時にまだ痛みがあれば医師に伝える事にしている。

 遠方に住む妹が子供達の手が離れて動きやすくなった事もあり、帰省する頻度を上げている。帰省する際には事前に連絡を貰って私から最近の両親の様子を伝え、帰省中両親と一緒に過ごして改めて状態を把握し、両親を含む皆で共通認識を持つようにしている。

 近い将来介護が必要になったら主な介護者は私だが決め事は必ず相談するから一緒に考えようと話している。姉妹で揉める事だけは避けたい。

 貰ったキュウリは浅漬けにして数日後の仕事帰りに届けることにしている。

 その時に新たな事件が起こってない事を祈る。

 帰り際、母が「デパートに行きたい」と言った。

 先日の旅行もそうだが、遠方の孫の入学式や卒業式、運動会にも行きたがる母。

 そういえば隣市にあったデパートが撤退してから「デパート」というものに疎遠だ。 

 私の世代ではデパートよりむしろモールやアウトレットの方が主流なので気にしていなかった。

 何を買いたいわけでも見たいわけでもないが、おしゃれしてウインドウショッピングして美味しい物を食べたい、つまり雰囲気を味わいたいらしい。

「計画を立ててみようか。肘や膝が治ってからね」と話すと嬉しそうな顔をした。