「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

術後療養中でも罪悪感がある

 高専専攻科に通う息子が、学校から帰って私に言った。

「母さん、日中何して過ごしよるん? テレビばっかりでもないじゃろ」

 これは耳が痛い。

 現在就職活動中の息子は、半月後にある採用試験1次試験に向けて目下勉強中。週末はアルバイトをしている。何となく私は働かない事に罪悪感があって「ごめんね」と言った事もある。「いや、気にせんでええ」とその時息子は言った。今の専業主婦状態も期間限定と思えばこそだ。

 現在退院して2か月が経った。退院当初は、1か月後の再診の診断次第では復職になるかと思い、自宅での一人時間を惜しむように大切に過ごしていた。

 入院前に購入していた、刺繍をしてクッションカバーを作った作品は2週間で完成した。「完成!」と家族のグループラインに写真を載せると「送ってー」と娘。送らん。取りにおいで。顔見せに。それまで我が家で袋に入れて大切に取っておくから。

 県外に住む娘とはもう2年近く会えずにいる。先日の黄金週間も自粛し帰省を見送った。

 その後2週間は、この機に自宅を片付けようと、これまで手付かずだった押し入れや引き出しの中を整理し、山のようなゴミが出た。

 そして退院から1か月後の診察の日、傷周辺の皮膚が強張っている事や動けば痛みがある事を理由に、どうしてもというのでなければ復職を見送るよう診断を受けた。

 嬉しかった。

 実は仕事に戻ると考えると動悸がしていた。

 そこで考えた。

 次の診察ではきっと復職の話になる。それまで仕事を忘れて、ゆーっくり何もせず自宅で過ごそう、と。実際、一日は何となく過ぎて、気付けば夕飯の支度をする時間になる。

 でも、息子の一言で「そりゃそう思うよな」と思わざるを得なかった。

 元々口にも表情にも出さないタイプだけに、その一言は痛かった。

 何かしようと思った。

 早速翌日は花と野菜の苗と土を買ってきて、鉢や畑に植えた。

 その日息子が学校から帰って来たのは真っ暗になってからだったので、翌日アルバイトに行くのを外で見送った時、

私 「見て。花植えたんよ。見て。野菜も」

息子「あ、そう。もう、何で出ようとするとき言うんか」

・・・怒られちゃった・・・

 今朝、総務担当から給与関係の件でラインが届いた。それだけで腹具合が悪くなった。これは、いくら休んでも一緒かもしれないと思った。

 残り少ない療養期間でメンタルを修復しなくては。

 仕事は嫌いじゃないのに、総務担当の人も嫌いじゃないのに、なんでこうなるのか分からない。