「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

介護は我が事

 クリスマス。市内に住む両親を我が家に招待して夕飯を共にした。

 12月になってすぐ、母がクリスマスパーティーをいつするかと尋ねて来た。

 ケーキを注文するらしい。

 私が夕食を作り、母が父とケーキを持参して、一緒に食べる。

 今年はクリスマスイブが金曜日、クリスマス当日が土曜日だったので、土曜日の夕方5時に約束した。

 そして当日。食材はほぼ買いそろえてあったので、料理するだけだったのだが、なかなか重い腰が上がらない。昼ご飯を食べてようやく「招待状」とタイトルを打って両親に改めてメールした。

 そのメールに返信も無く、5時も30分過ぎて心配になった。

 家に電話をかけても出ない。

 母の携帯にかけると、出ない。折り返しがかかって来たが、本人の声は遠くであたふたしている様子だった。そしてまたかかって来て「信号で止まっている」との事だったので、待つ事にした。

「遅くなってごめん」と言う。午後急に思い立って美術博物館に見に行っていたと言う。そしてその駐車場でこけた、と。「最近よくこけるのよ」と言うのだが当の本人はいつも落ち着きなく動き回っている。

 毎年クリスマスには鶏の丸焼きをするのだが、両親は肉が固くて食べにくいと言うので、今年は豚のバラ肉とモモ肉を煮込んでグレービーソースを作ってかけた。80代の父と70代後半の母の2人きりの生活でこんな料理は出てこないと、喜んで食べてくれて安心した。

 途中で父がポケットティッシュを取り出した。開け方が分からなかったらしく、横を破ってティッシュを引っ張り出そうとしていた。早く気付いてあげずに申し訳なく思ったと同時に、それが出来ないのかとショックでもあった。

 帰り際、25㎝程の玄関の上がり框を降りるのが2人とも気になったので、端の手すりを持って父から先に、次に母に靴を履いてもらうようにした。完全に私の本職の領分である。我が家は家を建てた直後に主人がDIYで玄関とトイレに手すりを付けてくれて20年経った今も重宝している。

 玄関を出て車に乗るのに低い段が2段ある。横に付いて歩き車に乗るまで見守った。

 ほんの2時間程一緒にいて食事をしただけだが、両親の老いを感じた。

 2週間前に実家へ行った時には、私は仕事帰りで玄関で少し話しただけだったせいか、ここまで切実に感じる事はなかった。

 これからも機会を作って両親と過ごす必要がありそうだ。

 次は正月に実家へ行くと伝えた。

 

 両親を車に乗せようと外に出た時、玄関扉の側に紙袋が置いてあり

「メリークリスマス!」とメッセージが書かれてあった。

 毎年、息子に同級生の友達がサンタさんのようにプレゼントを置いて行ってくれる。仲良し仲間の家を回って同じようにプレゼントをしているようで、以前はお母さんが運転して家を回ってくれていた。仲間内では母子了解済みの恒例行事となっている。

 息子は「I love you」とLINEを送ったと言った。

 こんな素敵な間柄の友達がいるから、息子は就職も自宅から通える所にしたのだと理解出来る。

 今年のクリスマスは、短い時間だが色々考える事があった。

 今の両親の状態を、記録しておきたいと思う。