「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

今時の中学生を取り巻く環境

今週のお題「30万円あったら」

 気持ちに余裕が出来るだろうと思う。知り合いでもない人にたかられたり寄付を求められる程の金額でもなく、微妙な金額設定が何とも言えないね。

 私なら一旦は給料が入る生活口座とは別の口座に入金するけど、いつ壊れるか分からない冷蔵庫の買い替え費用とか、とっくに寿命が来てる車のタイヤをやっと買える。そしていつの間にか生活の中で消えて、通帳は元の金額に戻ってるんだろうなとも思う。

 実際は30万円無くてもタイヤは近々買い替えざるを得ないので痛い出費なのだが。

 30万円という金額は、私にとっては月給以上2か月分未満の、有難い金額であり、これを「はした金」と思う人に国を治めて欲しくない。

 物価が上昇するばかりで給料は上がらず、子供が小さいわけでもないので子育て支援のような公的支援も無い。信じられるものは自身の収入のみで心は荒む。

 

 毎朝近所のスーパーが8時に開くのを待って昼食を買って出勤している。同じように弁当やパン等少量の買い物をする作業服や制服姿の見慣れた人達がいて、レジのお姉様も弁当に箸を添えて「いってらっしゃいませ」と送り出してくれる。

 先日そのスーパーが開く直前、いつもバイクで来てご飯を買っていく50歳代位の男性と制服姿の女子中学生JCがスーパーの前の公衆電話ボックスで話していた。どうやら公衆電話で話せず困っているようで、男性が自身の携帯を出して「電話してあげるから番号教えて」と言っているのが聞こえた。ちょうどスーパーが開いたので私は「開いたから店員さんにお願いしてみたら」と声をかけ、店内のサービスカウンターにいた店員さんに伝えた。店員さんはすぐに電話ボックスに向かって下さり、店の入口付近でJCと話しているのが見えた。

 私は自分の弁当を買って外に出ようとした時にその店員さんと出会い、JCがお母さんに電話するのに公衆電話に慣れていなかったせいで小銭が不足していただけだった事、でもお母さんは電話に出なかったらしく話は出来なかった事を話して下さった。

 お礼を言い外に出ると、そのJCが何故か手ぶらでアワアワしている。近くに中学校がありそこの制服なのでそこの生徒なのは間違いないだろう。その学校の方角から歩いて来て私に近づき、

JC「あの、忙しいですか? 家まで送ってもらえませんか? どうしても家に帰らなくちゃいけないんです」と言う。でもその理由は簡潔には話せない様子。

私「家⁉ でもお母さんとは話せなかったんでしょ? とりあえず学校へ行ったら? 学校までなら送ってあげるよ。でも、歩いてもすぐそこだね」

JC「あ・・いえ・・大丈夫です・・」

 それ以上色々尋ねない方が良さそうな気がした。

 その日私は半年に一度の職場のモニタリングがある日で支社から人が来るため気が急いていた事もあり、

私「そう、じゃ、気を付けてね」と告げてその場を離れるとすぐに始業を告げる中学校のチャイムが鳴った。

 その日の業務が落ち着いてから、朝のこの件が思い出されて気になった。

 あのJCはあの後どうしただろう? 

 何故手ぶらだったのだろう?

 学校へ行ったかな? 歩いて帰った? 学校へ送り届けた方が良かったのかな。でも知らない人の車に乗っちゃダメって今時の子供は言われてるよね。いや、家まで送ってって言ってたし。

 その後その近辺で事件があったとは聞かないし、そのJCとも会わない。

 大丈夫だったかな。

 そのスーパーの駐車場で中学生を親が送迎しているのはよく見る光景なので、そのJCもその日は送ってもらったのかもしれない。

 どうして学校へ行こうとしなかったんだろう? 確実に遅刻だ。

 逆に、家まで又は学校まで送っていたらどうなっていただろう?

 あれ以上関わらなくて良かったか?

 地域の大人が子供に関わる事が奨励されていた頃とは時代が変わり、今やあまり関わろうとすると犯罪とも誤解され兼ねない世の中だ。

 何となく後味が悪く、結局どうするのが正解だったのか分からず、自分の心の中で引きずっている。