「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

参観日「待っちょったのに」 捨てられない手帳

 先日23歳の誕生日を迎えた息子は社会人になってもうすぐ1年。口数は多くないが、発する言葉は中立的で的を得ている。時に「そんなに言わなくたって・・」と思うような図星な発言があるが、よほど言わずに我慢した挙句にようやく口にしたのかと思われる時と、たまたま虫の居所が悪かったのねとこちらが諦めの境地に陥る時がある。

 我が家は現在息子と2人暮らしなので、自宅に居る方が夕食を作る。

 息子はカレンダー通り、私は曜日関係無しの勤務なので、休みがずれる。息子が休みの日に私は仕事が終わって終礼前に「もうすぐ終わる」帰る時に「帰る」とLINEすると、帰る時刻にほぼ合わせて夕飯が用意されている。

 仕事から帰ってご飯が出来ていたら「わぁ、美味しそう」と食べ「ありがとう、美味しかった」と私は言っている。買い物してくれたり冷蔵庫の物をアレンジしてくれたり、クックパット先生に習ったりして色々考えて作ってくれている。嬉しいのも合わせて、本当に美味しい。

 2人共仕事の日は早く帰り着いた方が洗濯物を取り込み、米を早炊きし、ご飯が炊きあがる頃におかずが出来るよう考えて作る。1品か2品、汁物もあれば上出来だ。

 息子は私が作ったご飯を前に、手を合わせて

「いただきます」と言って食べ始め、食べ終わると手を合わせて

「ごちそうさま」と言う。味に文句を言う事は無く、胡椒を振ったりレモン果汁や七味唐辛子等、自由に好みにして食べている。

 食後に風呂を洗い終わって湯を入れる準備が出来ていたら

「何から何までありがとう」と言葉で伝えてくれる。

 食後に食器を洗ったり洗濯物を畳んでアイロンをかけるのは私の仕事だが、負担に思わないのは息子の気遣いのお陰だ。一日働いて帰って家事をする大変さを理解してくれる。

 将来息子に愛される女性はきっと幸せになれると思う。

 

 長い間枕元に置いていた小さい手帳を手に取ってみた。毎年ポケット手帳を購入してスケジュール管理をしており、それは息子が小学生の時のものだった。

 授業参観と役員決めがあった日、息子は学校から帰るなり玄関から2階に居た私の所へ直行し「何で来んかったん? 待っちょったのに」ハグ💖

 修学旅行の朝、大きな荷物を抱えて一緒に学校へ向かっていたが、後ろから友達が1人で歩いて来たのを見て私に小声で「ごめんね」と言い、友達と歩いて学校へ行った。母と歩くのは恥ずかしかったらしい。バスに乗り込んで見送る時にはバスの中で総立ちの同級生に交じって手を振ってくれていた。1泊して帰って来て解散になった途端キョロキョロと私を探す。家に帰って「おらん間何してた?」と尋ねられ「寂しかったよ」と答えるとこたつの中でガッツポーズ。お風呂で壁に「おかあさん だいすきだよ」と字を書いた。

 また別の日、風呂上りに体を拭きながら「将来恋人が出来て結婚するって言ったら祝福してくれる?」その時私は何と答えたのか、それは書かれていなかった。

 ・・・

 手帳に書いて残した短い言葉に、あの時の情景が思い出される。

 きっと息子は覚えていない。

 でもあの時私は忘れたくないから書いて残したのだと思う。書いていなければ思い出しもしなかった。

 娘の事も、自分の体の不調も同じように書いてある。

 色んな事があった。

 子供の存在が仕事をしながら生活を支える私のモチベーションになっていた。

 毎年買い替える手帳。中を見ずに捨ててしまった手帳にも、小さな出来事が記されていたに違いない。

 今の仕事になってからスケジュール管理をスマホでするようになり、細かい言葉を残す事もなくなった。

 月日の経過が早く感じられるようになり、心の抑揚もあまりなくなってきた気がする。