「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

五十肩!?

 50代も半ばになると、不調がごく自然にやってくる。

 肩を痛めたきっかけは、車の運転席から助手席の後ろにかけている制服を取ろうと左腕を動かしたことだった。毎日やってる事なのに、突然その痛みはやって来た。これが噂の五十肩? 以来数ヶ月続いており、痛み止めや湿布で凌いでいる。

 

 おととしは利き手の親指付け根が痛くなり「母指CM関節症」と診断され専用サポーターを購入した。濡らせないので家事にも仕事にも差し支え、なかなか不便だった。

 去年は右手中指が「ばね指」になり、第一関節が曲がったままになる事が多くなったので手術をすると何故か親指付け根の痛みが消えたのでそのまま忘れていた。

 因みにばね指の手術は日帰りで、月々かけている共済=生命保険の対象になった。

 

 最近朝目が覚めるとまた右手親指が強張り、第一関節がカクカクする。

 左手中指の第一関節もカクカクしてまたばね指っぽい。

 

 怪しいのは体だけに限らず、脳みそも。

 人や物の名前が瞬時に出てこない。

 友人とランチ中に「ドラマ見てる?」って話になっても、そのドラマのタイトルが出てこない。主演、共演している俳優の名前が言えない。

 それは私だけでなく同年代の共通項でもある。

 娘と息子、又はその世代の弾丸トークに口を挟むなんて有り得ない。

 だから似たような人としか付き合う自信がなくなる。

 このブログを書きながら、相応しい言葉が見つけるのにも時間がかかったりする。

 

 50代になって体力気力精神力共に一段階落ちた気がしていたが、50代半ばにはもう一段階落ちる感じだ。

 

 戦国時代、信長が生きていた頃は50年が寿命だったらしい。

 伝統芸能幸若舞」のひとつ「敦盛」に「人間五十年 化天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり」とある。

 日本人の平均寿命が50歳を超えたのは戦後になってからとのこと。

 そしてその後飛躍的に伸びている。

 

 私の場合50歳の時点で息子はまだ学生だった。

 ようやく自分の為にお金や時間を使えるようになってきた・・使ってもいいかなと思えるようになってきたのは最近のことだ。

 もう少し、生きたい。

 まだまだ楽しみたい。

 気が付けばそう思えるようになっている。

 毎日が辛くて死んでしまいたいと思っていた時期もあったのに。

 家族を養うために必死に働いていた頃が幻~

 

 今は無理せず仕事して、

 ぼちぼち体を労わって、

 ちょっとずつ楽しみを作れたらいい。

 体に不調のサインが出るようになってから、そんな風にゆるーく考えられるようになってきた。

 人の体は今も昔も50年生きるように作られているのかもしれない。自分の鍛え方やメンテナンス次第でより良く長く生きられるかどうかだ。

 どんな工夫をしている?