介護業界から葬祭業へ。
介護を始めたきっかけは、仕事を求めてハローワークに通っていた時に壁に貼ってあった介護職員基礎研修の基金訓練受講者募集だった。自分の親に介護が必要になった時に適切なサービスを受けられるよう知識と技術を身に付ける事が目標だった。介護福祉士の資格を取り、ケアマネジャーになり、多分このままずっと介護に携わっていくだろうと思っていた。
やりがいはある。
しかし気力と体力をはるかに超えた業務の多さと、介護現場の現実に、いつまで頑張れるだろうかと思うようになっていた。
勤務が休みの日にハローワークに通い、介護関係の求人は山のようにあるが興味を引かれる事は無かった。求人情報を見始めて3か月くらい経った頃、葬祭関係の求人が目に付くようになっていた。
葬儀社や納棺、湯灌等の求人が出ている。
そして斎場の求人が目に付いた。
「これ!」と思った。
要介護者が介護施設を退居するとき、本人とその家族とは契約終了と共に支援計画を作成し介護していた私とも関係は終わる。その時にどこへ移るかは分かるがその後の事は分からない事が多い。施設入居中に亡くなったらどこの葬儀社か家族に尋ねて弔電を打っていた。私が直接かかわる「家族」は多くの場合キーパーソン一人。どこの葬儀社を経由しようとも、最後に斎場で、私が関わった要介護者をキーパーソンと共にお見送り出来ると考えたのが、転職動機である。
既に若くも無いのに、正職員として採用される事も有難かった。
そして数か月が経過し、私の関わった入居者一人目が来た。
私はすぐに分かったが、キーパーソンだった娘様は私に気付かなかった。収骨を担当し目を合わせて話もしたのだが。私からは私だとは言わなかった。
斎場には仏様がおられる。
先日、あってはならないのだが、表示しているのとは違う炉に棺を入れそうになる事件があった。台車に乗せた棺を炉に入れる為に位置を合わせるのだが、何度やっても合わせられず時間がかかっていた。そこへ離れた所で見ていた職員が炉が違う事に気付いて難を逃れた。正しい炉に棺はすんなり入った。
その日の終礼で、過去にも同じように間違いかけた事はあり間違いを防ぐよう本人も周囲もよく確認するよう指示があったのだが、今回関わった私ともう一人にとっては、仏様の意思がそこにあったと思える不思議体験だった。
今の所、転職した事に後悔は無い。
接客業なので髪を振り乱して介護していた頃に比べると、鏡を見て身だしなみを整える頻度が増えている。
その日の業務はその日で完結する。これが何よりいい。
遺族にも、仏様にも、意に沿える業務を心がける。