「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

ブログが続いている理由

特別お題「わたしがブログを書く理由

 今月始め、遠方で独り暮らしをしている娘から14日~18日の予定で帰省すると連絡があった。

 私のシフトは12日と18日が休みになっている。

 上司が12日の休みを14日以降に変更してもいいと言ってくれたので、12日に約束していた友人に電話をかけた。

 電話には出ず、後で「何か急ぐ用事だった?」とLINEが来た。

 端的に約束の日にちを変更して欲しい旨をLINEの文字で送った。12日は前から予定していた美術館のジブリ展の予約が取れていた。今月24日迄の開催となっているので、2人の休みの予定を合わせてようやく行ける最後のチャンスだと楽しみにしていた。

 数日してLINEが来た。

「えー? 無理ー。何か用事があるの?」

 で、また電話をしたが、同じように電話には出ない。

 数日経って

「ごめーん。・・・」とLINE。

 

 詳しい事情は直接電話で話したい。LINEの文字だけで言葉が足らず誤解が生じたり友人との関係性も悪くなるのは避けたい。

 でも電話に出て貰えなければ話せない。

 日数が経ってしまって私の休みを誰かと変わってもらうのも憚られ、休みはもう諦めた。

 仕事から帰って娘が居たら嬉しい。それを楽しみに仕事をすればいい。

 そう考えた時、遠い記憶がよみがえった。

 

 子供達が小学生だった頃。

 娘が6年生で息子は3年生の頃だったと思う。

 私は病院で調理の仕事をしており、早番、日勤、遅番のシフトがあった。

 早番の日は朝4時前に家を出て15時過ぎに帰宅する。

 日勤と遅番の日は朝顔を見る事は出来るが帰りは18時や20時近くになる。

 早番の時だけは、子供達が学校から帰って来た時に私が自宅に居る。朝私は静かに起きて家の鍵を閉めて出る。朝起きるのが苦手だった娘は目覚まし時計を3個用意し、一つは枕元、一つはベッドから離れた部屋の出入口、もう一つは階下に降りる階段の途中に時間差で鳴るようセットして置き、弟を起こして支度をし、玄関の鍵を閉めて2人で小学校へ向かう。

 娘は「早番がいい。朝は何とかするから、学校から帰った時にお母さんが居る、家の鍵が開いてて『おかえり』って迎えてくれる、手の込んだ美味しいご飯が食べれると思ったら、学校に居る時から楽しみなんだ」と言った。

 その頃、米を研いで炊飯器でご飯を炊く事を教えており、子供達の好きなふりかけや即席みそ汁等を常備してとりあえず空腹はしのげた。

 それを全部するのはいつも娘だった。

 息子は「オレ、ねえちゃんがおらんと生きていけん」と言った。娘がちいママ状態だった。母からも弟からも頼りにされて、娘は辛い立場だったと思う。

 

 子供達に我慢を強いていたと思う。

 働くお母さん達は少なからずこんな思いをして子育てをしているのだろうか。

 

 様々な出来事があり、考え、迷い、感じた事柄を綴ってきた。

 ブログ歴は10年をゆうに超える。

 始めは日記帳からの移行だった。

 自分が書くより他者の記事を読む方が多かった。

 自分の記事を読み返すとその情景や心理状態が思い起こされた。

 コメントが来ると嬉しい。

 足跡やスター、コメントを付けてくれた方の記事を読む。

 そして同じように足跡やスター、コメントを付ける。

 繋がってる気がする。

 コメントで嬉しさは倍増、悲しみは半減し、他者同士のコメントで新たな見方を知る機会にもなる。

 会った事は無いのに、長年の知り合いのような気分になっている。

 いつも読んでいる方の記事の更新が暫く無いと気になり、暫くぶりで更新されるとホッとする。

 常に本音を記すので日頃付き合いのある人では無く「どこかのだれか」でありたい。

 でも私を知っていてくれる安心感がある。

 言葉にならない気持ちやそこに至った状況を言語化する訓練にもなり、伝える難しさを感じている。

 このブログをやめられない。

 自分が積み上げて来たものがここにあり、これまで繋がってきた方々とこれからも繋がっていたいと思うから。