「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る元介護職兼介護支援専門員の日常

収骨にて

 斎場での出会いは一期一会。

 その場での対応がこの斎場職員の態度と捉えられると考えると、かなり気を遣う。

 故人を独りでお見送りされた女性がいた。

 緊張した面持ちでこちらの進行に従いお見送りをされ、1時間余り経って収骨の案内に従い収骨室に入られた。見送りは職員が複数関わるが、収骨は一人で担当する。故人のお骨を挟んで私と向かい合い、足元から身体、頭へと収骨を進めていく。骨壺の容量に少し余裕があったので、気になる所があれば収めるよう促した時だった。

「それが・・どんな様子だったのか分からないんですよ。最後は病院だったし、結構長く入院してたから・・」とそれまで「はい」しか言葉を発しなかったその方が、収骨が終わろうとする頃になって初めて私に心を開いて下さったようで嬉しかった。内臓を悪くして長く入院加療していたが、お骨がこんなにしっかり残っているんですねと話され、お骨箱をしっかり抱いて穏やかな表情で帰られた。

 コロナ禍になって、入院患者への面会が出来なくなっている事が、こんな風に人の心を沈めてしまう。施設に入所している高齢者も同じだと感じる。

 

 逆に、にぎやかな時もある。「足をよく擦ってたのよね」と言いながら足のお骨を収めたり。大きなお骨壺に皆様であいあいと話しながら収める場合もある。

 

「違い箸」に関する質問を受ける時がある。

 収骨の際には竹を木を一対にした箸を用いてお骨を拾う。あの世とこの世を結ぶ三途の川を渡る手助けをする意味を持つと言われる。違い箸に関しても長さの違う箸であったり諸説あるらしいが、総じて言えるのは非日常であるということ。日常では必ず同じ素材の同じ長さの箸を用いる。人が亡くなるという事が起こりませんようにという願いが込められている。

 毎日毎回同じようで同じ人はいないし、同じお骨も無い。

 その都度経験しながら学んでいく。

 この世界もまた深い事を知る。