「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る元介護職兼介護支援専門員の日常

入職1か月後に後輩が出来た

 私と1ヵ月違いで新人が入職し、半月が経過した。

 その一生懸命な姿に、1ヵ月前の自分が客観的に重なって見える。

 新人は既に告別後のお別れの口上は出来るようになって独り立ちし、今は収骨の勉強中。新人の今だから色んな職員のやり方を見て学べて羨ましい。新人の特権だ。始業前の練習を終えて本番デビューのタイミングを図っていた。

責任者「新人君、収骨やってみて。傍について何かあれば助けるから」

職員 「おぉ。ついにデビュー(拍手)」

責任者「じゃ、天然さん、頼むね」

 私 「え⁉」

職員 「天然さん今完全に油断してたでしょ(笑)」

 ・・もしかしてみんな同じ道歩いてた?

 一緒に収骨室に入り、新人の一挙手一投足を見守る。

 緊張が伝わり、一緒に緊張してしまう。

 必要最低限の口上だけ述べて、アドリブの言葉は出ない。

 変な汗をかく。

 結局私は口を出す事も手を出す事も無く静かに終わった。

 私が収骨をするとついしゃべると言うか、相手から意向を引き出してしまう。

 例えば、骨壺の内容量に余裕がある場合に

「もう少し入りそうですが特に収めたい部位がありますか? 足が痛くて擦っておられたとか・・」と問うと遺族から何かしら反応がある。

 でもそれは良くも悪くも私のやり方であって、今は新人は決められた口上だけで進めている。

 そうか、私も最初はこんな風に静かに終わったんだ。それが1ヵ月余り経つ間に毎回試行錯誤ではありながらも自分のやり方を確立しているんだと感じた。明らかに元職のケアマネが影響している。

 終わって責任者に「どうだった?」と問われ「特に悪いと思う所が無くて何も言ってません」と答えると「それでいい」と言われた。本当にいいの? 私でいいの?

 いいらしい。・・責任者の真意がよく分からんけどこれがこの人のやり方なのだ。

 これから新人にも色がついていくのだろう。

 独り立ちしてからが試練だ。

 この責任者の度量の大きさのお陰で、私達は萎縮せずに学び、自分で考えて自分なりのやり方を確立していくのだと思う。