「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

「よう頑張るね」魔法の言葉

 12月29日に仕事納め。

 翌30日は何となく家でぐったりしていた。

 息子が出かけようとしていた。隣町のイオンへ行く、と。

「行く?」と声をかけてくれたので「5分待って」と支度して車の後部座席で揺られた。自分から出かけるエネルギーは無いが、連れて行ってもらえるなら付いて行く。

 衣料品店を2件梯子して試着して、息子は上着とパーカーを買った。マネキンが着ていたセットアップで試着するとマネキンさながらによく似合っていた。数日過ぎたけど私からのクリスマスプレゼントにした。

 大晦日は朝、食料品店の開店時間を目指して正月料理の材料を買いに行った。1軒では買い切れずもう一軒寄ったが、屠蘇散は売り切れていた。

 昼前に帰って昼ご飯を作り食べてから、立ち上がるまで少し時間がかかった。

「さ、始めようか」

 きんとん、だし巻き卵、菊花かぶ、筑前煮、肉巻き、・・

 キッチンに踏み台を持ち込んで、時々作り方を確かめながらその踏み台に座ってはまた作る。

 何となく手際が悪い。

 疲れやすい。

 夕方になり、今日の夕飯を作らなきゃ。

 何だかたくさん作った気がするけど、夕飯これだけ? という感じだった。お節ばかり作ってるからこうなる。

 20時を過ぎた頃、息子がキッチンに来た。キッチンカウンターに3段お重がおよそ出来上がり、調理場が残った食材でいっぱいなのを静かに見まわし、

「よう頑張るね」

 そう言って息子は私を見た。言葉にならない憐みと優しさの混ざったような表情だった。

 この一年、これまでの数年を、ずっと見ていたのだと思った。

 救われる。

 今年私は春に足の手術をして介護職を免職になり、事務所に入った。この施設に勤め始めて4年。現場を離れて初めて年末年始を家で過ごそうとしていた。

 大晦日の22時半過ぎ、現場を統括する管理者からLINEが来た。

 今日、職員が発熱して早退。もし明日その職員が欠勤したら、私が変わりに出勤出来るかとの打診だった。現場は24時間365日回っている。限られた人員で無理をしている。私にまで打診が来るのはよほどの事態だ。もちろん出勤すると答えた。年末年始を自宅でゆっくり過ごすなんて、贅沢で申し訳ない気がしていた。

 我が家では正月はお屠蘇で始まるのだが、屠蘇散が売り切れて買えなかったのは、神様、こういうシナリオだったのですね。色んな意味で、神様は居ると思う。

 もうすぐ、年が明ける。

 来る年は、介護職がもっと認められ、報われる事を願う。