「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

認知症入居者の深い話

 1月は役所から介護保険証が発送されるのが若干遅かったようで、施設がご家族から受け取ったのは最終週半ばだった。末日までまだ数日あると思われただろうが、受け取った日の朝私は夜勤明け、翌日は公休で、その翌日出勤しても人員不足の為事務は出来ず超過勤務付きでフロアでてんてこ舞い、月末日となってしまった。その日も同じように超過勤務付きでフロアなのだが、相方によって違うもので、フロアを任せ、少し時間を貰って支援計画書を作成出来た。

 施設近くの郵便ポストの収集時間を把握していたので、その前に投函したい。コロナの影響で、家族との書類のやり取りが、手渡しでなく郵送になっている。

 相方に相談し、天気も良かったので入居者に苑外散歩に行こうかと声をかけてみた。体を動かすのが好きな80代前半のたいさんは、最近寒くて天気もいまいちだったので外に出られなかったせいか、久しぶりの散歩を大喜びしてくれて、誘ったこちらが嬉しくなるほどだった。

 若干物忘れがあるたいさんだが、普通に会話が出来、施設での生活ではスタッフが助かるほどお手伝いをして下さる。散歩の間も話は尽きる事はなかった。

 たいさんの娘様と息子様はそれぞれ結婚して、お孫様が今年成人式だったそうで、写真が送られて来ていた。

「孫を抱くまでは、あなた、頑張らなきゃ」とたいさんは言った。

 私  「孫は可愛いそうですね。でも私は嫁も婿も要らないと思ってるんです」

たいさん「ダメよ、あなた。子供を結婚させるまでが親の務めよ」

 私  「でも結婚するのがまた苦労の始まりじゃないですか?」

たいさん「子供が結婚しない人生を選ぶなら話は別だけど。そうでなければ成功でも、失敗でも、一度は所帯を持つべきよ。富も、貧乏も、自分で経験する事が大事なんだから。親と一緒に『困らない人生』を送るんじゃダメ」

 そこまで話したところで施設に帰り着いた。

 深い話だった。

 少なくとも、私には深い話だった。先日息子がその『困らない人生』を送っていると感じたばかりだ。

 うちの娘も息子も、きっと結婚相手は自分で決めるだろうし、事後報告って事も在り得る。結婚させるまでが私の務めなら、そうなった時私はどうすべきなの? 本人が決めた相手ならその後苦労しても頑張れるだろうし、諦めもつくだろうし、解決するだろう。そういう私は・・・諦めの境地だ。

 我が子が結婚するころ、またたいさんの話を聞きたい。その頃には今回話したことは忘れているかもしれないが、また違う深い話が聞けるかもしれないと思っている。

 それまで元気でいてほしい。

 それまで心身共に元気でいてもらえるよう、たいさんのお世話をしなければと思った。