「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

居場所

今年86歳になる彼女はデイサービスの少人数認知症フロアに来ている。ご主人も多少認知症状が見られるが一般フロアにいる。2階と1階に別れなければいけないということが、認知症の彼女にはわからない。

 二人の息子さんは遠方におり、今は二人で生活しているが、介護度が付き、まずホームヘルパーが入った。ケアマネージャーにデイサービスを勧められても、ご主人は納得出来なかったが、足が弱っていたので、
「海の家へリハビリに行きましょう」
とデイの迎えとヘルパーとで申し合わせて誘う日が1年ばかり続いた。

 
 団地の一軒屋から道路に出る為に10段あまりの階段を降りなければならない。手摺をつけ、介護職が後ろを支えて一歩一歩降りるが、足の悪いご主人にはかなりきつかった。そして一年のうちには、デイサービスに慣れ、楽しみに来てもらえるようになっていた。

 ご主人の方が失禁が多く、一年に数回帰省する息子さんも、自宅での両親の様子から、二人の生活に限界を感じていたという。


 その折、デイサービスと棟を同じくする有料ホームが増築する運びとなりケアマネと息子さんの話で両親一緒の入居が決まり、そこからデイに通うこととなった。入居から2ヶ月位経つ頃、息子さんご夫婦が見学来られ、両親のホームの部屋やデイでの様子を見てそれぞれ説明など聞かれ、遠方の自宅へ帰られた。後で有料ホームの職員から、「ここに入れて良かった」と大変喜ばれていたと聞いてこちらも嬉しかった。

 そして入居から3ヶ月近くになるのだが、彼女は有料ホームに帰る度に
「えー? どこよここ?」
と言うのだが、職員に
「おかえりなさーい」
と迎えられて部屋へ入る。

 3ヶ月離れると、自宅を忘れる。
 どうやって帰るのかも分からない。
 住所も、番地も。何十年も住んだはずなのに、住所を尋ねると生まれ育った隣町の市を言う。

 彼女も、主人が好き。
 帰る時には
「○男さんの所へ行きましょう」
と誘う。
「え? 主人に会えるの?」
と、そそくさと席を立ち、
「どこ? どこ?」
と言いながら有料ホームへ向かう。そして毎回「えー?どこよ」のくだりになる。

 息子さんも、両親が一緒に居ることを望んでいるので、これからも二人一緒。

 認知症の進行の早さを恐ろしく思う。その日食べたものも、見たことも覚えていない。今食べて空になった自分の膳を見て、その皿に何が乗っていたかも。
 
 でも、その日その時を楽しんで貰うのが、デイサービスの役割であり、またその場に来たとき、そこに居合わせた人の顔を見て何となく「いい人」と覚えていて、その空間を自分の居場所との印象を持ってもらえていれば、また来てもらえる。

 それでいい。それがいい。