「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

お別れ

母方の祖母が93歳で亡くなった。
 その日、母は山口の自宅から夫と共に福岡県基山の「寿○園」へ祖母に会いに行くと、役職者が名詞を出し、
「家族の意向で、面会者に会わせない契約を入所時にしている」
とのことで、会わせてもらえず、
「元気にしていますか?」
と尋ねると、
「お元気ですよ。」
と言われて帰った。午後3時頃だった。


 その日の夜、祖母が亡くなったと、連絡があった。


 夜8時頃亡くなったとの事だった。
 こうなると申し訳ないがこの施設も、対応した職員も、信用出来ない。

 介護の世界では「家族」というのは、利用者の主たる介護者、つまり祖母が同居していた長男夫婦のことで、祖母の介護に関する各種契約はケアマネとこの長男夫婦の間でなされている。ケアマネを通して契約される施設と「家族」の契約は絶対で、施設職員は決定に従う他はない。


 9年前に祖父が亡くなってから、その全財産を長男夫婦が相続し、その後一人になった祖母の部屋に、長男の嫁が夜な夜な来ては、
「通帳を出さんね」
と恐ろしい形相で迫ると、祖母が言っていた。
 「経済的虐待」である。


 1年ほど前から変だった。
 宅急便で送った品物が「受け取り拒否」で返される。妹が住んでいるカナダから祖母宛てにプレゼントを贈ったら、カナダまで送り返されて来たというから驚いた。返しているのは長男夫婦である。

 母は何度もはるばる祖母に会いに行ったのだが、長男は自宅でも理由をつけ、ショートステイ先でも、面会を拒否させた。
「家族から会わせないようきつく言われていますから」
と職員が言った。

 どうしてそんな事をするのかと問いただそうにも、長男は興奮し、憤慨して怒鳴り、話にならない。


 私はサービス提供責任者の資格を持っている。
 デイサービスに勤め、日々利用者の家に出向き、家族とも話しをしている。介護の辛さを抱える多くの家族を見てきた。
 なのに、この無力さは何だ。
 結局私は何の力も持っていない。
 
 告別式で喪主である長男が挨拶した。
 「骨折しては入院し、病気をしては入院し、そのたびに『入院したら終わりよ』といろんな人が言ったけれど、母は退院して帰って来ました」と。
 寿命が延びている。健康寿命が延びるのはいいが、医療によって生かされてしまう悲劇もある。

 「長く生き過ぎた」
と、よく聞く。
「お迎えが来るのを待っている」
とも。


 ところが、介護者には、被介護者が煩うと、放っておくのは罪であり、病院にかからせる義務が生じる。そして、医療者は最善を尽くす義務がある。結果、退院して自宅に戻り、煩う前より悪い状態で暮らすことになる。


 葬式から数日して母が言った。
「あの家での怖い思いからも、誰とも話をしない、刺激のない生活からも、開放されて、おばあちゃんは今は心静かにしているのかもしれない」と。


 母自身が、どんなにか無念だろうと思わずにはいられなかった。
 私はあなたにそんな思いはさせないと誓った。