「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

炉前の人間模様 かける言葉を考える

 70代後半の男性の火葬があった。

 斎場へもたくさんの人が来て、炉前で最後の別れを惜しむのにも時間がかかった。

 幸い、その日のその時間はその方だけだったので、ゆっくりお別れをされて、炉へ見送った。

 葬儀社アシスタントが火葬を待つ間過ごす待合室へ引率をするのだが、悲しみに暮れて炉前から離れられない人がいた。男性が壁にもたれかかって泣いている。傍で女性が背中をさすっていた。

 私達職員はその場を離れて、見えない所で作業をした。

 暫くすると、外から男性がペットボトルを持って火葬棟へ入って来た。独りでソファにうなだれて座っていた女性に手渡し、隣に座った。

 さっきの人とは違う人? などと思いながら裏へ行くと、副主任が考え事をしている様子で狭い範囲をうろうろ歩き回っていた。

私  「考え事ですか?」

副主任「どう声をかけたらいいかと思って。もうすぐ次の受け入れがある」

 それから少しして、炉前には誰もいなくなっていた。

 

 同じ場面はある。

 私が勤める斎場は、炉前が見渡せる作りになっているため、炉へ収める時は一組ずつ進め、終わり次第次に待っている方を炉前へ案内する。故人を炉へ見送ったあと、その場を離れがたい様子の人はいるが、次を案内しなければならないのでやむなく火葬棟を出てロビーや待合室へ向かってもらう。

 以前、同じ事があった時、お別れをして炉へ見送ってから、喪主様から

「ここに居てもいいですか? 主人(故人様)はとても寂しがり屋だったので」と言われた。隣の炉の火葬が終わり収骨準備を始める都合上、他家のお骨を見せる訳にはいかないので

「申し訳ありません」と火葬棟を出てもらった。気の利いた言葉は出てこない。

 この建物がこんな作りでなければ、例えば個室とか、仕切りがあるような作りなら、もう少しお別れの余韻というか、せかす必要も無いのかもしれない。

 故人様は愛されていたんだなぁと思う。

 

 一日の火葬件数が増えて来た。

 毎年、冬は多い。

 少し前まで夏だったのに、もう冬に近づいてきたということか。

 あまり事務作業のようにしたくはないが、霊柩車が到着し、告別室へ遺族を案内してお勤め、焼香、炉前でお別れし、収骨をする。次の霊柩車、遺族が待っている。

「ここは多いのぉ」と来場した遺族が言う。

 死なないでほしい。