「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

職場の人間関係に悩む パートの立場

 パートという働き方も微妙だ。

 小学生2人のお母さん、かまさんは私が入職する少し前からパートの介護職員として同じ職場に勤めている。子供さんや自身の体調不良で休みがち。

 朝8時半から勤務なのだが、8時前後に職場の電話が鳴ると、かまさんのお休み連絡だと誰もが思う程、頻繁に休み、1か月の出勤予定日の半分も出勤するかどうかという状態。

 フルタイムで働くのは難しいからパートなのであって、休むのも仕方がない。 

 来てくれたら助かる、くらいの気持ちで、あてにしないようにしようと申し合わせがあった。

 かまさんが休むと、8時半が定時の夜勤は帰れなくなる。

 勤務表上かまさんが出勤予定の日に当たった10時出勤の遅出職員は、かまさんが休みになる事を想定して早めに出勤する。

 休みだった職員が急遽出勤する事態にもなった。

 皆がストレスを溜めていた。

「パートだから休んでもいいと思ってるんだって」

「休んですみませんとか言葉も無いし、迷惑かけてるという認識が無いよね」

 そんな言葉や空気感は、本人にも伝わっているようだ。

 かまさんは「休み辛い」と言うようになった。

 現場の空気もぎくしゃくしている。

 出勤しているのに、あてにしない空気感になっている。

 先日夜、かまさんも職場のカンファレンスに出席し、皆の意見を聞きながら、メモをしたり、考えてる様子だった。意見を求めようかとも考えたのだが、あえて、会を閉めて皆が超過勤務申請書を書いている時に

「あえて当てなかったんだけど、何かある?」と尋ねてみた。

 入居者の中で、いつも靴の踵を踏んで歩いている方がいるのを「危ないと思うので注意して見守りが必要だと思います」と言われた。

「いい意見。ありがとう。当てればよかったね」と返すと少し笑顔が見れた。

 帰宅して、カンファレンスを振り返り、記事を書きながら、考えた。

 あの時すぐに私は皆に「今いい意見が出た」と言うべきだっただろうか。

 あの会の間中、かまさんは気配を消していた。

 意識して消そうとしているように思えた。

 翌日、申し送りノートにカンファレンス記事を貼りながら、管理者にその時の事を話した。

「子供じゃないんだから、必要な意見なら自分でカンファの中で言わんと。他に意見は無いかって聞いたよね」 

 もっともだ。

 でもきっと、かまさんは自ら意見を言えなかったと思う。会の中で私が指名して意見を求めるべきだった。で、その意見が出たとして、皆は温かく受け止めただろうか。

 元々自分で蒔いた種かもしれない。

 今となっては出勤しても、欠勤しても、辛いに違いない。

 心を病むのが一番いけない。

 休みがちとはいえ、3年以上今の職場に在籍し、この施設での一日の過ごし方や入居者の状態も分かってくれている。他人の悪口を言わない素直な性格の持ち主で、私はもっと勤めて欲しいと思っている。

「休まんとおいでよ」と声をかけたこともあるが、その時彼女は

「それがなかなか・・」と言った。

 管理者とも、ホーム長とも個別に面談して、暫く続けて出勤するが、また休むようになる。

 退職するかと思われたのだが、その後も変わらず休み休み在籍している。

 心を砕いても彼女自身が応えてくれないという諦めにも似た感情が、私だけでなく、他の職員にもある。

 もう誰も、何も言わなくなっている。

 ただ、介護職員が欲しい。

 皆、心身共に限界を超えている。