「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

術後半年「何をしてもいい」

 今年3月に右股関節置換術を受け、半年になる。

 術後1か月、3か月、そして今回半年の定期受診。毎回同じようにレントゲンを撮った後に整形外科外来で診察を受ける。

 11時半の予約だったが、10時頃到着すると、初めて駐車場に入る自動改札で並んだ。あら、今日は車が特別多い気がする。

 多いけど、駐車場内で誘導に従ってスムーズに駐車する。

 院内へは2重扉で、最初の扉を入った所で手指消毒と自動検温。「正常値」の札を貰って2枚目の扉に向かい、院内に入る。相変わらず県病院は大勢の人でごった返していたが、要所に係員が立っており、停滞する事無く人を捌いていく。自動受付機の前に3秒立っていたら声をかけられる、という風に。

 レントゲン受付で、検温結果の札を求められた。厳重だ。

 ここまでは早いのだが、外来の待ち時間が長い。

 10時半に外来受付に診察券を出して、1時間経った頃、隣の人とその隣の人が話し始めた。

「10時半の予約なのにこんな時間。もう・・おたく、どこが悪いんです? 私はこのリュウマチ」と両手を見せた。

「私は11時半の予約だけどまだまだって事ね。私、股関節の手術受けてね。1年の診察。両足よ。ほら、もう何ともない」と椅子から数回立ったり座ったりして見せた。

 暫く2人で話しているのを聞いていると、前に座っていた女性が振り返って

「その手術、これから受けようとしてるんですけど、良くなりますかね?」と父親世代と思しき隣の車椅子の男性を指した。

 話しているとその男性が診察に呼ばれ、女性が車椅子を押して行った。

 そして元の2人に「あなたは?」と尋ねられ、私も会話に加わって3人で話し始めた。

 真ん中のリュウマチの女性が診察に呼ばれ、2人になっても話は続いた。

 結局、私達2人は今日の診察の最後の2人だった。

 昼を過ぎ、1時になる頃だった。

「診察に来てこんなに話したの初めて。時間が気にならなくて楽しかった」とその方は言った。私も同じだった。コロナだから、大体、席を空けて座るのだが、話し始めてからは隣合って話した。

 診察室に入ると、主治医は柔和な表情で、穏やかな口調で、私と目を合わせ「調子はどうですか?」と言った。お蔭様で(手術した事を)忘れてますと答えた。

 レントゲン画像を見ながら「ばっちりですね」と言い「この前はまだ痛みがありましたね」と言いながら診察台へと促された。

 両足を揃えて、長さが同じなのを確認。

 曲げたり、伸ばしたり、開いたり、上げたり。横を向いてまた曲げたり、伸ばしたり、上げたり。そこで痛みが。右股関節外側を抑えて「ここが痛いね」と言われた。

 椅子に戻り、レントゲン画像を見せて

「ここの骨が少し出っ張ってるんですね」と指し示す。どうしたらいいかと尋ねたが、医師は少し考え「湿布を貼ってください。痛みも取れる湿布ですから」と言った。

 してはいけない動作があるかと尋ねると

「何をしてもいいです。しゃがんでも痛くないでしょう? 痛い事はしないでね」

 介護職なのだが、介護してもいいかと尋ねると

「いいですよ」

 人を抱えても?

「いいですよ」

 前回3か月の診察の時には、しゃがまない、ねじらないようにと言われていた。

 医療って、すごい。

 生身ぶった切って、異物ぶっこんで、半年後には「何をしてもいい」!!

 でも私は3か月の診察を受けて職場復帰した時に、介護職を解かれ、事務職になっている。

 前回の受診までは禁止動作もあり、運動不足で筋力が落ちている。

 身体介護から半年離れて、自分に自信も無い。

 せっかく身に着けた介護技術も、使わないうちに、使えなくなっている。

 これからは「何をしてもいい」・・いい響き。

 まずは筋力をつけたい。

 何か楽しみながら出来る筋トレ無いかしら?

 独りじゃ続かない気がするし。

 次の受診は半年後。

 今年手術を受けたちょうど一年後の同じ日付、手術中だった時間帯に、再診の予約が入っている。