「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

母の入院 肺がんステージⅢA期

 6月生まれの母は今年満80歳になった。

 母自身が80歳の誕生日記念にと近所の行きつけの医院で受けた健康診断で「要精密検査」の紹介状が出た。

 隣市の総合病院にて検査の結果「肺がんの疑い」との診断を受けた。この時初めて私は母から話を聞いた。本人を前にして「肺がん」とハッキリ言うんだなと思った。

 後日担当医師より詳しい説明があるとの事だったので、父と共に同席させてもらった。

 レントゲン、CT画像を並べたパソコン画面を示しながら、医師は淡々と説明をする。

 PETCTで全身のガンの有無や転移の具合を調べ、

 MRIで脳の中に病片が無いか調べ、

 今のところ、左肺の中に3cm程度の腺癌が一つだけあり、転移は無い。

 1泊2日で検査入院し、詳しい検査がなされた。

 大動脈に広く接している為、外科手術で病片を取り除く事は不可能。

 化学放射線療法と抗がん剤治療で病片が小さくなって大動脈から離れる事を願い、この方針ではどうかと医師からの説明だった。

母「放っておいてもいい方にはならないので、お願いします」と答えた。

 それを受けて

医師「転移が無いのでここだけをきちんと治療すれば治る見込みがある。再発はつきものだが、出来得る治療をした方が後悔はないのかなと思う」と言われた。

 今の母の状況を遠方に住む母の子供達、すなわち私の弟妹にも知らせて情報を共有したいのだが、この画像を貰うことが可能かと医師に尋ねると、説明を受けたパソコン画面をそのまま写メしていいと言われ、撮らせてもらった。

 そしてその説明内容と画像、その日の母の写真を載せて家族共有メールに記した。

 

 7/26㈮の入院日、希望していた個室は空いておらず、6人部屋になったのだが、母が入る予定の病室の患者の中にコロナが出たので、別の部屋を用意された。

看護師「特別室しか空いてないんですけど・・一泊6600円なんですけどいいですか?」

父「ええ。そりゃあ、コロナの部屋には入られん」

 母が「でも・・」と渋っても父は「ええっちゃ!」と看護師に特別室を承諾した。

 母は父に愛されているなぁと羨ましかった。

 これから2か月に及ぶ入院生活が1泊6600円の特別室から始まるなんて。

 その特別室に入った所で父と私は帰ったのだが、その後母からのメールで、昼食を摂った後、夕方には大部屋に引っ越したらしい。

 その日医師から入院中の治療予定の説明を受けたので、その内容と昼食膳、特別室での母の画像を家族共有メールに載せた。

 

 7/29㈪は放射線と抗がん治療が始まる初日だったので、面会の予約を取って仕事帰りに父を迎えに行き、母の病院へ向かった。

 この面会もなかなかに面倒だった。

 面会は完全予約制で1回30分、3人以内。

 予約受付時間は平日の9:00~16:00。

 土日祝日も面会は可能だが、予約は平日のこの時間内にしておかなければならない。

 父は入院直後の週末に一度、私は治療が始まる㈪に予約を取ろうとすると、一度にどちらか一つしか予約は出来ないので、週末の父の分を入院した㈮に予約して帰った。

 月曜日の朝病院に電話してその日の夕方18:30の面会予約を申し入れると、

「その時間はもう予約があるので他の時間に」と言われ、18:00に予約出来た。

 談話室で面会をする為、同じフロアの他者を含めた人数制限があるらしい。

 

 独り暮らしとなった父の事を、入院中の母は気にしている。

 お盆前後に帰省を予定していた妹が、予定を一週間早めて帰省する。

 妹が帰省すると当然実家に住むことになる。

 最初、父は「自分は大丈夫だ」と頑なに予定を早める事を拒絶したが、数日後に妹に説得される形で帰省を受け入れた。私も母から父を説得するよう頼まれていた。

 やれやれ😥

 

 放射線と抗がん治療初日の7/29㈪、母に面会予約が取れた時間をメールで知らせていた。アメニティをフルに利用している母は、病院着でエレベーター前で待っていた。

 ナースステーションで面会票に記入する。体温を測り、氏名を書き、30分に設定されたタイマーを持たされた。談話室に座ると母はその日の治療を時系列に話した。具合が悪いとか言うかと心配していたが、意外にも母はいつもと変わらず元気そうで、食事も美味しく頂いていると言うのでホッとした。

 院内の売店にかつらが売ってあるのを見て「買っておこうか」と母が言う。

 必要になってからで良くないかと私は思うのだが、そうなってからでは具合が悪くて買いに来られないのではないかと本人は先読みしている。

 かつら、要る?

 室内用のちょっとおしゃれな帽子をプレゼントしようか。