「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

親子の思い

「母さんとしゃべりたい。いつも居ないから」
とお嬢が言った。
 塾へ向かう車の中。疲れているはずだから移動中は少しでも眠りなさいと私が言った時だ。

 最初に仕事に出たのは、子供が通う小学校の給食室だった。パートだったので、子供達を学校へ送りだしたあと、掃除機をかけながら子供の忘れ物に気づくと、出勤前に靴箱に寄って入れておく。子供より若干早く帰宅する。同じ給食を食べ、
「今日も美味しかったね」
と会話も出来る。しかし、週に1日では覚えられないし、収入にもならない。覚えるまで他のパートさんの出勤日を貰って出勤させてもらった。最大週3日。ちょうどいいとも言えるのだが、もう少し働きたいとも思っていた。

 新聞の折込広告に病院の調理員募集があり、早速応募。
 試験、面接を経て採用された。朝4時半の早出から夜7時までの遅出まで、5通りの時間ローテーションで、年365日組まれる。担当も替わる。朝4時に家を出て、残業、夜6時や7時に帰宅することもあった。小学生がいるからといくら上司に頼んでもお構いなしで日曜にあてがわれる。

 子供達が「辞めて」と言うのは早かった。
 早く辞めればよかったかもしれない。仕事も大変だが、人のひどさに耐えかねて、なかなか長くは続けられない。一緒に採用された4人の中で、早い者は4ヶ月で辞め、最後に私一人になって、2年で退職した。一日中家にいるようになってしばらくして、息子が言った。
「俺は今が一番幸せ」
と。どんなに我慢させていたかと、申し訳なく思った。
 そして私はその年の調理師免許を受験し、取得した。

 合格してから実際に免許を手にするまでの間に、3ヶ月のパソコンの職業訓練に通って、ワードとエクセルの資格を取った。

 事務と調理の求人を探しつつ、介護の職業訓練にも登録していたら、仕事が決まるよりも先に、訓練の面接日が来てしまった。意外に人気は高く、3人に一人は落とされている。訓練に通うのに落とされるなんて・・

 半年通い、サービス提供者を履修した。
 
 そして今の仕事に就いて1年となる。
 日曜定休。週中に1日休む。希望が優先され、子供の発熱や急な運動会の雨天延期などにも最大限考慮してもらえて、ありがたい。
 今は高校と中学になった子供達を朝見送ってから家を閉めて出る。早出でも15分程度早いだけである。
 
 それでも、寂しい思いをしているのだと、改めて思わせる一言だった。自分より3つ年下の弟は尚更だと思う、とも、お嬢は言った。

 一緒に居られるものなら、居たい。
 でも、働かなければ生活が立ち行かない事情もまた、子供達も承知している。
 ちょっとそこまでの買い物に誘ったり、姉の塾の送迎に一緒にドライブしたり、出来るだけ声をかけて一緒にいる。

 中学生なのに、反抗期どころか、ハグしたがる甘ったれな息子になってしまったのは私のせいである。甘えが足りたらいつか親離れするだろうか。その時同時に私は子離れが出来るだろうか。突然だろうか・・