介護職の日常

高齢者入居施設に勤める介護支援専門員の仕事と家庭。

今週のお題「うるう年――2016年の私」

介護福祉士」の国家資格を持って働いていたい。最短でこの前年国家試験を受験する。・・・失敗したら1年勉強して16年に再受験することになる。

 来月いっぱいで定年になる上司に
「続けられそう?」
と尋ねられた。マジ怖い質問。その真意はと
「・・それはどういう意味で?」
と逆に尋ねると、
「いや、続けられそうかなぁと思って」
と。
 働くしかない。今の時点で自分に合っているかどうかは判断出来ないので、続ける。

 
 先週、利用者が他界した。
 その数日前、独居の彼女宅を訪問したヘルパーから連絡を受けて主任が訪ね、センターに戻ってその状況や一人で立ち上がれなくなっている本人の様子を詳しく話し、デイサービスでは責任持てないため、利用を差し控えて欲しい旨、ケアマネに申し入れた。
 病院で亡くなったと聞き、あまりに突然で驚いた。

 朝寝ているのを起こす作業から始める彼女の迎えは大変だった。古い家は寒く汚く、上がって彼女を着替えさせ、鞄のありかを家中探し回るため、スリッパを持参するようにと送迎車に常備されていたほどだ。認知症を患う彼女は自分の鞄をどこに置いたかわからなくなるくせに、その鞄がないと出掛けられない。中を見ては「お金も何もない」と騒ぐ。入れられるわけがない。
 送迎の順番は単発あるいは一番手で組まれ、そこでかかる時間が残りの利用者の迎え時間に影響する。歳をとり、足が少々おぼつかないが、口は健在で同じ話を繰り返す。彼女の歳は自称90歳で止まっていた。「今年で丁度90よ」と。

 ただ、他人の悪口を彼女の口から聞いたことはなかった。そんなことを、亡くなった後で誰かが言い、初めて気づいた。
「最後は暖かい病院で死ねたね。」
 そんな声も聞かれた。

 勤め始めて間もなく半年になろうとしている。
 この間に片手では数えきれない利用者が他界した。
 先週来てた、食事もトイレも自力だった人が亡くなったりする。
 いい人生だっただろうか。少なくとも私が関われた終盤は?
 一人ひとりとの関わりを常に意識するようになる。