「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

気の持ちよう

明日、目が覚めなければいいと思う。
 休みを数えて1週間、給料日を基準に1ヶ月、ボーナスを待って半年、そして1年が過ぎる。
 出勤の朝は下痢。
 行けばそれなりに仕事はするし、やりがいもあるのだが。
  
 休みの朝は体が動かない。
 だるく、あちこちが痛む。
 
 弁当を作り、朝食を用意して子供達を見送り、ぼちぼちと家事をして、片付いた頃少し眠って、ようやく楽になる頃、夕飯の心配をする時間。

 
 何事も自分の気持ち次第とは思うのだが、前向き、気楽に、・・というより、すべき事をただ淡々とこなすのが理想なのかもしれない。
 
 先月、母の日にお嬢がメッセージをくれた。かわいいカードに
「お母さん、いつも疲れているね」
と書かれてあった。

 子供が私の生き甲斐であり、心配の元であり、元気の元(元気ないけど)でもある。
 
 私が倒れたら、もうそのままにして欲しいと言うと、お嬢は
「いいや、救急車を呼ぶ」
と言う。そのままにしておいたら、殺人罪になる!?

 3万人が自死する裏に、その何十倍の自死予備軍と、苦しむ家族がいる。

 私には、大切な子供達がいる。
 就学させる義務があり、成長を見守る責任がある。
 それでも、この体が、心が、ついてこない。