「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

おひとりさまの終焉

 遺族が1人とか2人とかいう場合、家族だったり、後見人だったり、市役所職員だったりするのだが、施設職員が一人で見送りをされたケースがあった。

 霊柩車でお棺に入った故人様だけが到着した時、運転手が

「今月末には108歳になるんだったって」と言った。

 少しして女性が一人来て焼香し、炉前で最後のお別れをした。顔を触り、

「頑張ったね。ありがとうね」と優しく声をかけていた。

 その方に少し話を聞きたいと思い、志願して収骨を担当させてもらった。

 

 老人介護施設の中には、本人や家族が希望して入れる老人ホーム等とは別に、身寄りの無い方や様々な事情があって福祉事務所の紹介を受けて入居に至る施設がある。

 その方は戸籍上はご家族は居るのだけれども、事情があって独りだった。

 その施設で29年過ごし、去年後見人がついた。人生の4分の1をその施設で過ごしたことになる。施設から見える所に施設で管理される墓地があり、そこに入る意思を示して「寂しくないね、みんながいるから」と言っていたそうだ。

「『めしはまだか』といつも言ってました。教えられる事が多かったです」と彼女は言った。顎に歯の痕は無かったので総義歯だったのだろうが、お骨は脆いながらも形を残していたのは、自分の口からご飯を食べる事が出来ていたからだろう。長寿の秘訣でしょうねと話した。

 見てくれる家族がいたとしても、介護が必要になって29年もしくはそれ以上の長きにわたり、自宅で見る事は難しい。でもひと昔前はそうだったのだ。今は医療が発達し、義歯が日進月歩で改良され、飲食物の形状も硬さもソフト食等本人に合わせられるようになり、歩行器や車椅子の種類も豊富だし、トイレも様式温便座、ベッドも電動、紙パンツも生活の質を向上させている。施設はバリアフリーで生活空間の温度を快適になるよう管理しているせいで季節感は無いが季節の行事や食べ物は提供しているだろう。

 大正一桁生まれのその方が、どんな人生を送り、どう思い、考え、感じていたのか知る由もないが、その女性の話を聞きながら、自身の人生を受け入れておられたのだろうなという気がした。