「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る元介護職兼介護支援専門員の日常

介護業務最終日 ボソッと聞こえる職員の本音

 介護現場の勤務が終わった。

 最終日は遅番に人員不足の為の1時間超過勤務が付いていた。

 最後まで超過勤務。

 現場はこんなに人員不足なのに、退職してごめんなさい🙇

 ちなみにこの日は夜勤明けにも早番にも漏れなく各々超過勤務が付いていた。

 早番だったT氏が言った。

「天然さんは辞めない人だと思い込んでました。ずっといる人だと」

 T氏は3年目なのだが、数えてみたらT氏自身が入職してから18人辞めて行ったと言う。しかもT氏は大量離職が出た直後に急募の為の体験会に来て複数入職した中の一人だ。  

 人員不足の波はひっきりなしに来て、その度に私は臨時にシフトに入り、毎日残業、こっそり休日出勤して「いつも居る」と言われていた。

「心残りは無いですか? 来月も毎日来ていいんですよ」

「気持ちは変わりませんか?」

「ほんとに辞めちゃうんですか?」

「ええー、いやだぁ。もう、気を遣う人ばっかりになる・・私も辞めようかな・・」

 だんだん声が小さく消え入りそうになる。

 こんな風に思って貰えるのは嬉しい。

 最終日だから、もっと名残惜しいかと想像していたのだが、T氏に業務の合間にそう言われる時以外はいつも通り淡々としている自分の気持ちが不思議だった。

 早番のT氏が退勤した後、夜勤が出勤してきた。

「ケアマネまで取って辞めるのもったいないよ。まあ、見てたら大変なの分かるけど」

「天然さんのLINE、これよね。時々愚痴ってもいい? 愚痴だけはねぇ、言う相手を間違えると大変な事になるからさ」

 分かる! そこ大事!

 その信用を得ているのは嬉しい。

 少しずつ職員の本音が垣間見える。

 私が勤めた5年弱で変わったのは、収入面では処遇改善が数千円加算されたのと、14万円だった基本給が15万円になったくらいだ。処遇改善加算は介護保険料に加算されてサービス利用者から頂いているものだと理解して業務に当たらなければならない。

 仕事の内容は随分変わった。

 最初の1年は介護だけだった。早番、遅番、日勤、夜勤をこなした。

 2年目は前任者から引き継ぎ「計画作成担当者」として介護のシフトに入りながら家族と職員の声を聞き支援計画を作成。役所や病院、他施設との関係性も構築されていき、介護だけをしている時とは見える世界も感じ方も変わっていった。

 昨年は股関節の手術、入院、療養をした為、一旦現場での介護業務を離れ法人本部に在籍して視野が広がった。

 昨年末からはどうしても介護の手が足りず現場に入る日が増えた。現場と事務と本部を行き来しながら数足のわらじを履いて法人全体を見渡せるようになり、自分にしか出来ない役割を感じていた。

 最後の1ヵ月はほぼ有給消化に充て、数日出勤して引継ぎや担当者会議、支援計画を作成する。有給休暇を捨てる事なく消化させて貰えるのは有難い。最後の1ヵ月は、後継者が現在受けている研修を終えて計画作成担当者としての資格を得るのを待つ為に私が在籍していなければならない期間であり、退職に「待った!」がかかった期間である。

 お陰で私は気持ちをゆっくり切り替えていける。