「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る元介護職兼介護支援専門員の日常

時代と共に給食への思いが変わる

 昔好きだった給食のメニュー・・・しいて言うなら、揚げパン。

 私が小学生だった昭和50年代はコッペパンと瓶牛乳は毎日だった。このパンが苦痛だった。食べられなくても、残す事は許されず、昼休みになっても、その後掃除の時間で机が教室の後ろに下げられようとも、下げられた机で食べ続けなければならなかった。その時の自分の姿が哀れに思い出される。あの頃の担任が恨めしい。

 学年が上がり、たまにご飯の日があった。

 当時、給食のおかずも美味しいと思って食べるというより「食べなければならないもの」だった。

 「給食当番」なるものが決まっていた。白い割烹着と帽子を着用し、給食室へ取りに行って配膳する。

 コッペパンを半分以上食べなければおかずのお代わりをしてはいけないルールだった。ある日、いつもお代わりをするゆきおくんがおかずの食器を持って立ち上がった時「まだ食べてないのに」と責められた。ゆきおくんは席に戻り「食べたよ、ほら」とコッペパンの中身の柔らかい所を全部食べて皮だけ残しているのを皆に見せ、大急ぎで再びお代わりに行っていた。そんな風に食べたいと思う事が羨ましかった。

 私にとって給食は他の教科や掃除と同じように、学校で決められた事柄であり、栄養を考えられた、配膳されたら食べなければならないものだった。

 卒業が近くなって、揚げパンが何度か出て、嬉しかったのを覚えている。

 我が子が小学生になって、偶然人に誘われて我が子が通う小学校の給食室でパートとして働く機会を得た。

 パンの日とご飯の日が交互になっていた。

 パンは大体昔から変わらないコッペパンだった。バター、ジャム、マーマレードが付いた。

 白い割烹着と帽子に着られているような小さな一年生が給食室へ食器やご飯、おかずの食缶を取りに来て力いっぱい抱えて教室棟へ運んで行く。

 昼休みが終わる頃、食べきれなかった膳を辛そうな表情で持って来る子や涙を浮かべて下げに来る子がいた。給食室前に残菜を入れるバケツを置いている。でも来た姿を見ると受け取りに出て「頑張ったね。持って来てくれてありがとう」と声をかけた。

 子供達が靴箱から出て帰る頃、給食室の掃除をしている。ある日「最近持ってこないじゃん」と声をかけると「もう全部食べるもん!」と嬉しそうに言い手を振って帰って行った。

 給食室に勤めて、栄養士が食材の値段や献立を悩んでいる姿を見た。

 昼には作った調理員が作った給食を食べながら反省会を兼ねている。

 昔もこんな風だったのだろうかと思ってしまった。

 あの頃に比べ給食は格段に美味しくなっているように思える。

 帰って我が子達と「今日の給食美味しかったね」「冷凍みかんは昔からあるよ」等話した。

 我が子達は、毎日の給食が楽しみな様子だった。

 特別お題は「好きだった給食メニュー」だが、自分が子供の頃の給食は思い起こせば辛い思い出だった。でもあの頃「辛い」と表出した事は無く先生に言われる事は全て受け入れていた。大人になって給食室で働いた時に作って食べた中で美味しいと思い、ぜひ家でも作りたいと思ったメニューは「いわしの梅煮」だった。数個入りのレトルトパックを茹でてパックを開けるだけの作り手にしてみれば簡単なメインメニューなのだが、何故か印象に残っている。

 

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