「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

コロナと介護現場の混乱

 コロナを身近に感じた。

 4連勤を終え、明日は休みだと解放感に浸り、ビールを飲んで・・・第3か4かのビール・・・夕飯食べて、くつろいでいた夜8時過ぎ、携帯が鳴った。

 ユニットリーダーからだった。

「申し訳ないんだけど、明日出れる?」

 管楽器を習っている彼の先生がコロナに罹り、数日前からレッスンを受けた人の中に彼がいたという。濃厚接触者になったので保健所の指示に従い明日、明後日職場で抗原検査を受けて、陰性が確認出来たら明々後日から出勤可能になるとの事だった。

 陽性だったら。

 当然出勤停止。

 そこへ問題が。

 ギリギリの人数でシフトを回しているのでカバーをするにも限界がある。

 そこで私に夜勤の要請。1年ぶりの夜勤。去年3月に股関節置換術を受ける直前が最後の夜勤だった。術後私は入居者の支援計画を作成したり、本部事務所にも所属して職員の勤怠計算等して事務専門になっていた。そこへ昨年末より人員不足の為日勤帯のシフトに入るようになり、シフトの日数が増え、ついに夜勤の話まで来た。

 私に限っては本部の行事計画とユニットのシフトを組み合わせて月々の勤務表が作成されている。   

 本部課長に事の次第を伝えた。

 さすが課長からは冷静なコメントが。

 急に出勤した分の代休はいつ? 7連勤にならないように。ユニットの〇〇さんはそれご存知?・・・

 結局私は5連勤目で急遽ユニットに出勤し翌日休む事になった。その日リーダーは抗原検査の結果は陰性だった。驚いたのだが、彼はその日一人で朝7時からの早番と夜7時迄の遅番を兼ねるつもりでシフトを組んでいた。私に遅番で、もう一人早番で依頼していた。人員不足を献身的に支え無茶な勤務をして、彼の身体は以前から悲鳴を上げていた。神様が彼に休むよう仕向けたのだと私には思えた。

 そしてその翌日、自宅に電話が。

「今日も陰性だったので、明日から出勤します。天然さん、残念だけど夜勤は無しで。明日は本部事務所に出勤してくださいね」

 誰が残念!?

 今月2人新人が入り、まだ同行が続いている。介護に関しては経験者なので、独り立ち出来れば多少勤務が楽になると期待する。

 来週には外国籍の新人が入る予定になっている。こちらは介護未経験なので、仕事と生活の両面でサポートが必要になってくる。

 介護現場のドタバタは続く。