「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

現場と家族、医療を繋ぐ

80代のかやさんは社交的で歌が好きで、他者と上手に関わる方だった。

 皮膚感染症にかかり暫く居室で過ごす日が続いてから、うつの症状が出始めた。家族に説明し、本人と面会する機会を作ったり、本人と電話で話したりしてもらい、症状を共有した。

 主治医は内科医なので、専門医宛てに紹介状が出た。本人、家族と職員で初診を受けた。

 一週間分の薬が出て、様子を見て今後入院加療も視野に入れるとの見解だったのだが、昼夜を問わず奇声を上げ、幻視、幻覚、タオルで自分の首を絞める、頭を壁に打ち付ける等目も手も離せない状態になり、他入居者にも不眠、不穏等の影響が出た。再診の日を待たず病院へ電話して内服中止の指示を受けた。

 再診の日、午前、診察室で本人を見るなり医師は入院加療するべき状態だと言った。そして入院手続きの為には娘様とどうしても連絡を取る必要がある事を丁寧に説明してくれた。「娘さん」という言葉にかやさんは敏感に反応し、パニック状態で自責の念を唱え続け、積年の思いを吐き出しているように見えた。こんなかやさんを見るのは初めてだった。

 実はキーパーソン=主介護者となっている私達が「家族」と言う方は「親戚」で、今回の入院の為にはかやさんと親子兄弟の誰かが同意をしなければならなかった。入居時から、娘様の話題は出なかった。本人、家族が話したくない事は話さなくていいと伝えていたのだが、ここに来て知る事となった。過去の確執から疎遠になった娘様がおられたが、娘様は関わりを拒絶され連絡を取る事は困難だった。

 それを受けて、病院から市役所へ事情を説明し、市長の同意を得てかやさんの保護入院手続きをしたい旨申し出たが、却下された。娘様が存命である事がその理由だった。

 施設からも市役所へ入居者の命に係わる、急を要すると説明し、市長同意を求めたが結果は同じだった。

 その日の午後、娘様と電話で話せると家族から連絡を受け、その時刻にかやさんを連れて病院へ向かった。医師が患者を前にして娘様と直接電話で話し、入院同意を得て、かやさんの入院が決まった。

 かやさんはすぐに病棟へ連れて行かれ、家族が入院手続きをしている間に、私は着替え等必要なものを施設へ取りに戻った。

 現場を知り、家族と医療を繋ぐ役割は、今回、私には重かった。

 本人も家族も、きっと娘様も、辛い思いをした。

 これ以上一日も施設で過ごす事は出来ないと思ったので、少々強引に進めた感もあった。

 入居者の人生を背負う仕事なのだと再認識した。

 

 一方で、精神保健福祉法による入院のきまりや制限等、勉強にもなった。

 この一件があって、家族はかやさんの後見を考えるきっかけになった。

 

 退勤時間が迫る頃、ようやく事務仕事を始めると、バンバンバンバン・・とフロアから音がする。

 背中を叩く音だ。

 先日ご飯が喉に詰まって救急搬送された入居者が、またご飯を喉に詰めていた。

 職員が傍で気を付けて介助をしていたにも関わらず、目の前で詰まってしまう。

 背中を叩き、口の中を空にし、吸引器で吸引する。

「あー」と苦しそうな声を出し、呼吸が出来ている事を確認。

 危ない。

 怖い。

 主治医に報告し、改めて職員皆で周知する。

 

 残業を申請し、事務に取り掛かった。

 辛い。

 心身共に、辛い仕事だと思った。