「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

人口股関節置換術、前方手術

 手術前日午前、整形外科外来にいた。

 翌日に手術を受ける6組の本人、家族が呼ばれ、手術室前のソファに座った。

 呼ばれた順番に個室に入り、麻酔医から全身麻酔の説明を受け、同意書に署名した。

 翌日の手術は、私は朝から3番目、午後になるとの事だった。

 コロナ対策で、手術中病院に来ても家族は自家用車の中で待機しなければならない。手術前、術後に家族は来るか、それとも看護師からの電話連絡「手術が始まります」「終わりました」の連絡だけで良いか、直接執刀医から話を聞くのであれば手術が終わり次第看護師から「終わった」と電話連絡を受けて院内に入り執刀医から術中、術後の説明を対面で受けるか、もしくは電話で受けるか、選択出来た。

 夫婦や、高齢の親御様には息子様が付き添っておられる様子だったが、私の付き添いの家族は21歳の息子。その日私は入院し、息子は独り、1時間運転して帰って行った。

 今春高専専攻科最終学年になる息子は現在就職活動の最中で、手術当日は午前中会社説明会に参加し、午後手術開始の電話連絡を受けて、私がいる病院へ1時間運転して来た。病院の駐車場で手術終了の電話連絡を受けて院内に入り、手術室前で執刀医から術中の様子や状態等細かい説明を受けてくれた。医師も、他者家族に話すのと同じように、息子に細かに話して下さったのだろうと、有難く思った。

 麻酔でうつろな病室で「母さん、終わったよ」と息子が言った。医師から受けた説明を話してくれたが、私はぼんやりして覚えていない。ただ、安心感だけがあった。そしてまた、私は眠ったのだと思う。目覚めた時、息子は居なかった。

 

 一晩朦朧としながら、動かせない体を看護師さんに寝返りさせてもらったり、痛み止めを注射してもらったりした。夜勤の看護師さんは夜中何度も来て点滴を確かめたり「喉が渇いたでしょう」と来る度に聴診器をお腹に当てては「うーん、まだかな」と言い、翌日明け方に「やっと飲めるよ」と楽飲みで水を一口含ませてくれた。白衣の天使は、激務でも天使だった。

 

 手術翌日、朝ごはんはベッドをギャッジアップしておかゆと軟菜を食べた。

 午前中、リハビリが始まった。体を起こす事から。ベッドに端坐位に座る。靴を履くのを「今日だけは手伝ってあげる」と履かせてくれた。歩行器を持って立ち上がる。近くのトイレの前まで歩いて行って戻り、ベッドに横になった。

「足上げて」と言われたが、横になった状態で、私の右足は1mmも上がらなかった。

 

 昼食からはベッドに端坐位に腰かけて常食を頂いた。

 食べて寝る生活の始まり。上げ膳据え膳のご飯は美味しくて、牛丼を頂いた時には共食いの様相だった。一日に30分程度のリハビリは、運動とはとても言えなかった。

 

 術後2日目、導尿が取れ、数日のうちに歩行器で院内どこでも一人歩き出来る許可が出た。

 動けば多少気が紛れたが、術後1週間、微熱と頭痛が続き、何となくぐったりと過ごした。

 

 4人部屋だったが、コロナの為か、常にカーテンが引いてあり、隣の人の顔も分からなかった。歩行器で歩けるようになって、トイレや洗面の為に部屋を出入りして顔を合わせ、同室の人とようやく話が出来るようになったのもつかの間、一人退院し、3人はバラバラの部屋へ移動になった。

 日を追うごとに体は楽になっていき、その後私は、違う病棟へ移動となった。

 整形外科病棟はいつも満床で、手術を受ける患者が次々入院してくる。きっと私が入るにあたって出ざるを得なかった人もいただろう。違う病棟になったら、整形外科病棟への「出戻り」はないと言われ、心細かった。空床のあった脳卒中センター病棟に移り、かいがいしく世話される患者達と同室に居ながら、私は時々「変わりない?」と尋ねられるのと定時のバイタル測定以外はあまり世話される事も無く、決められた時間にリハビリへ行く他は、他階の図書コーナーへ足しげく通っては本を借りて読んだ。シャワーも、女性は〇曜日の〇時~〇時と決まっている時間に自由に入った。

 

 人工股関節置換術をする病院は多いが、私が受けたのは「前方手術」で、足の付け根前側に縦に7cm程度の傷があるだけで、術後3週間目の現在、既に薄くなりつつある。時間と共に痕は消えてなくなりそうだ。今はまだ服が擦れて傷が痛むので、保護テープの上にガーゼを当ててみた。何となく体温も高め。1日1回くらい痛み止めを飲みながら、ゆるりゆるりと歩く。今後は日にちが薬になり、痛みは取れていくと言われている。

 この病院ではこの同じ手術を年間300件していると、リハビリの時、理学療法士は言った。その権威の医師を頼り、県内外から患者が来ているとの事だった。半年待って手術して貰えたと喜んでいる患者もいた。知らずに来た私は度外に幸運だった。

 

 手術前日から18日間の入院だった。

 自宅への帰り道、ちょっと回り道をして満開の桜並木を通った。入院している間に、季節は変わっていた。

 自宅近所のクリニック宛てに紹介状を貰っており、通院リハビリが始まる。

 

 退院した日の夕方、職場に電話して退院の報告をした。

 1か月後の診察までは、自宅で療養する。

 色んな意味で、貴重な時間となる。