「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

読書感想文の功名

今週のお題「読書感想文」

 息子は幼稚園を卒園し小学校に入学した時点で、文字が書けなかった。

 小学1年生の国語で「あ」の書き方から習い、「かきかた」ノートの4割枡にでっかく書く事から始まった。

 なのに1年生の夏休みには読書感想文の宿題が出た。

 夏休み前の個人面談でまだ字が書けない事を告げると、担任は

「そうですね。でもこれは全員の宿題なんです。枡の大きい原稿用紙もありますので、頑張って書いてもらってください」

 

 鬼!

 

 課題図書を図書館に予約し、読んで内容を息子と話し、文章にして文字数を合わせ、清書だけを息子に書かせるのに、難儀をした。原稿用紙の枡が少々大きくても、かきかたノートのサイズでしか書けない息子には地獄の罰ゲームさながらだった。アイスクリームやご褒美で釣りながら泣く泣く休み休み書かせるのに親の私も半泣き状態だった。

 

 2学期が始まり、担任から連絡があった。

 読書感想文を出品します。ついてはこれから暫くの間、放課後居残りをして書き直すので帰りが少し遅くなります、と。

 

 いや、先生、あれは私が書きました。清書だけをあの子が書いたんです、と正直に伝えた。すると担任曰く

「一年生なんてみんなそんなもんです」

 

 驚いた。

 息子はおとなしく書き直しをしたらしい。

「一人じゃないからでしょう」と担任はあっさり言った。

 すごい。

 これがプロの成せる業か。

 一か月前の私の苦労が嘘のようだ。

 

 賞状と一緒に作品が戻って来た時、大判原稿用紙の文字枠に、はみだし気味に書かれた一文字一文字は確かに息子の字で、痛く感動したのを覚えている。

 

 この頃の息子は、文字が書けないだけでなく、色々な面で同級生に劣っていた。

 担任は、この年頃は一学年の中でも差が大きいのは当たり前なのだと説明し、子供に合わせて自然に接しているように感じた。お陰で息子は劣等感を持つ事なく、出来ないながらも自身のペースで成長していった。

 

 数年後、この先生が高学年の担任を持った時、学級崩壊が起こり、心を病んで学校に来れなくなったと聞いた。低学年向き、高学年向きの先生がいるとすれば、この先生は低学年向きなのだろうと思った。

 その後どうされたのか分からない。

 私は今でもこの先生に感謝している。