「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

「このまま母さんが死んだらどうしようと思った」

 夜勤の間、日頃出来ずに溜まっている事務を進める。

 4時頃から朝ごはんの味噌汁を作り始める。

 かぼちゃを煮始めてパソコンの続きを打ちながら、意識が無かった。

 はたと目が覚め「かぼちゃ!」

・・・煮溶けてしまう寸前。味噌をこし入れるとかろうじて無事だったかぼちゃの形が崩れてしまう。

 

 6時頃から入居者に起床を促し始める。

 夜勤の度、無事に朝を迎えられるとほっとする。

 7時前に早番を迎えて夜間の様子を申し送り、朝食。

「味噌汁私が作りました。かぼちゃが溶けてしまってごめんなさい。食べてくれる?」

 そう話すと、残しそうだった味噌汁を笑って食べてくれたりする。

 食事を数人介助した辺りで退勤時間になるが、残りの服薬、口腔ケア、トイレを早番一人に任せられる状態ではない為、時間を過ぎてもそのまま慌ただしく介助をしている。

 

 パートさんが出勤してフロアが落ち着いてきたら、任せてフロアを離れる。

 事務室に入り、出勤して来た隣ユニットの責任者と話をしたり、入居者家族に電話をかけたり。

 退勤時間から2時間が経過していた。

 仕事の区切りは自分でつける。

 そろそろ頭も働かない。

 超過勤務手当もつかない。

「帰ります。あとをお願いします」とフロアに声をかけると

「えー、帰ってしまうのですか・・・そうですよね・・・きついですよね」

 と心細そうに言われるが大丈夫。任せられる。と私は思っている。

 

 ひとり自宅にいる息子にラインで帰るコールをして駐車場へ向かう。

 

 帰り着くと息子が言った。

「昨日一人で鍋したんよ。写真を送らんかったのはいまいち上手く出来んかったから。

 で、今日おじや作ったけどこんなに遅くなると思わんで作ってしまって、ご飯がふやけきってしまって、連絡もないし・・・結局食べた」

 

 ほうほう・・・え⁉ おじや無いの?

 

 1食分の白ご飯だけを炊飯器に残してくれていた。

 申し訳なかった。

 独りで待っててくれていたのに。せめて遅くなると連絡すべきだった。

 

 洗濯して、なんだかんだして、寝たのは昼頃だった。

 

 目が覚めた時、6時だった。朝か夜かも瞬時には分からなかった。

 晩御飯!

 大急ぎで階下に降りると息子が台所に立っていた。

「分量間違えた」と笑っている。冷蔵庫の中に賞味期限の肉があるのを見つけ、クックパットを見て小鍋に煮込み料理を作っていた。炊飯器にご飯は仕掛けてくれている。

 冷凍していたひき肉でハンバーグを作って焼き、野菜をちぎってサラダを作るととってもご馳走な晩御飯が出来上がった。ハンバーグのたれはおろしがいいね、大根すろうか、そんな話をしながら料理が終盤にさしかかった頃、リビングのソファから顔をこちらに向け、息子が言った。

 

「いやあ、俺さあ、このまま母さんが起きて来んのじゃないかと思って。

 このまま死んだらどうしようと思った」

 

 私の体にかなり無理がある事を息子は感じている。

 私は息子に進学を勧めるのだが、息子は頑なに就職を希望しているのは、そういう理由もあるのかもしれない。

 

 昔の事を思い出した。

 息子が小学生の頃、私は仕事を変わるに際し、暫く自宅で家事だけをしていた時期があった。

「俺は今が一番幸せ」

 あれから10年位経つが、屈託なく言った息子の言葉が今も忘れられない。

 ずっと我慢を強いていたんだと、我が身を振り返った。

 

 今の働き方は私の体力と能力をはるかに超え、気力で補っている。

 近い将来、限界が来る・・・いや、限界は既に超えている。

 

 介護職の給料を上げてほしい。

 もっとこの職種を認めてほしい。

 体の為には仕事量を減らしたい。でも・・・

 給料15万円。

 これより少なくなると生活出来ない。