「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

打ちひしがれる経験

 入居して半年になる80歳代のとふさんの状態が思わしくない。

 便の色がその色なのは内服薬のせい、食事が進まない事があるけど、食べれる時もあるのだから心配ない。・・・いや、食べれた時というのは時間をかけ何度も声掛けして何とか摂取した結果なのだが、チェックシートに記入した摂取量の数字だけでは表れない。個別記録にはその時の様子を記録しているが、何だかんだでも摂取出来たのならば問題視されない。喘鳴が顕著になった。

 施設の母体である病院で検査したところ、血液検査の中で恐ろしく数値の高いものがある。それでも「様子観察」と言われ施設に帰された。協働する看護師は、入院レベルだと言う。検査結果を家族に電話連絡する。家族から詳しい検査や入院を求めて欲しいと思うのだが、職員の立場で積極的に家族に勧める訳にいかない。家族も施設や病院に対する遠慮もあると思われる。家族にはここでみてほしいと言われた。

 

 検査の翌日とふさんは嘔吐があり、その後も嘔気が続いて食事を拒むようになった。

 水分も拒絶し、定期薬の服用さえも貝のように口を閉じ、首を横に振る。耳が極端に遠いとふさんと、議論するのは難しい。ジェスチャーや、筆談で意思確認するが、本当はもっと話して気持ちを知りたい。職員を拒絶しているのではない事は分かる。食べたくないし、飲みたくないのだ。

 

 ナースリーダーに検査結果を示して、これでいいのだろうかと問うてみた。

 その時彼女の答えは「まあ、大丈夫って言われたから」

 

 それから1時間くらいしてホーム長が話しに来た。ナースリーダーが主治医と電話で話している、と。

 その後暫くしてナースリーダーが来た。「大事な話がある」

 

 彼女が着目したのは、検査後のとふさんの状態だった。

 帰苑してから、嘔吐した。その後嘔気があり食事が摂れず点滴している。嘔気は治まったはずなのに食べようとしないまま、日にちが経って行くという、受診後の流れが良くない。施設で出来る事はやった、限界を感じる。主治医は紹介状を用意するし、医師の所見と意見を家族に話す用意があると言われた。施設でとふさんに関わる職員の意見の総意を、今日の定時報告で知らせるようにとの主治医の指示があった、と。

 

 ・・・反省した。

 私が立場上気付くべきはこの視点だったのだ。

 その全てが彼女の言葉に表れていた。

 職員の総意は得られている。限界。

 そこで私が分からないのは、では、どうしたらいいのか、どういう選択肢があるのか、どこに繋げばいいのか。

 

 そう話すと、彼女は言った。

 自分にも分からなかったので、同法人施設の相談員に尋ねて、過去のケースを教わった。

 今日休みの管理者と連絡を取って、調べてみた。

 当施設の前に入院していた病院で、点滴だけで過ごした期間があった事が分かった。

 加療の為入院を勧めてはどうだろうか。選択可能な病院は・・・

 

 ・・・猛省した。

 これ、私の仕事でしょ。

 私が現場で入居者と関わっている間に彼女が全部考え、気付き、動き、結論まで引き出してくれていた。

 この後、彼女とホーム長が施設長に話しに行っていた。

 この日が週に一度の往診がある日だった事も幸いし、夕方来られた医師に話すと症状に合う病院と科を紹介して下さった。

 受診後の経過と合わせ、家族に説明する運びとなった。

 

 「協働する」という言葉の意味をかみしめた一日だった。

 自分の無力さ、無能さを痛感せざるをえなかった。

 勉強になった。

 あらためて、ここで働きたいと思った・・いや、働かせてほしいと思った。

 施設では、施設の中でほぼ完結する。知恵を出し合い、良い方向へ進める。それは日頃入居者本人を常に気にかけ、交代勤務の職員誰もが記録や申し送りで経過を把握し、職員同士が話せる雰囲気であることもまた、大切な要因となっている。

 目の前の業務に追われ、アップアップの状態で疲弊している場合ではない。学ぶべき事は多く、自分の伸びしろは有効に活用すべきだ。・・伸びしろを作らねば・・