「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

研修にて

介護支援専門員資格保有者は、その資格を継続して業務をするためには5年で期限を迎える前年までに更新の為の研修を修了しなければならない。それは法廷研修で、言ってみれば義務教育だと研修の講師は言った。そして実務を担っている私達の研修参加費等は事業所が持つとも言われて嬉しかった。

 うちの事業所ではこれまで自費で払っている。管理者に直談判した。

「自分の資格の事だから、みんな自分で払ってるよ」と管理者に言われ支払ったが、参加費だけでなく、テキスト代、往復高速道路通行料等、介護職の給料から払うには重い。今年春に市役所を退職してうちの事務に入った人が、思いがけず助け船となった。さすが長年役所に勤めておられた方は「いやいや、これ実費じゃ・・・僕、よくまだ分からんのでちょっと聞いてみましょう」と、管理者のもみ消しにあわずに済んだ。その後周囲の人の目の触れるところとなり、今の業務にこの資格は必要だと認められ、稟議書をあげて請求出来た。

 そして管理者の一言。

「出してもらえると思っちょったよ」

・・・ww・・・

 

 そして全8回、4か月に及ぶ研修が始まった。

 女性講師「ケアマネジャーはタフネスでなくてはいけません。負けない、くじけない、体力勝負!」

・・・負けちゃう、くじけちゃう、体力無い・・・向いてない・・・

 

 第3回目からグループワークが始まり、一つのケースから支援計画書を作成すると、さすが、ケアマネが6人集まって作ると素晴らしい計画書が出来上がった。しかもその過程が簡単に思えたのが不思議だった。

 その講師も女性だった。「はじめの10年は一生懸命だと思います」・・・って、10年経ったら定年ですけど・・・

 その頃には定年延長になってたりして・・・頑張れん、こんな激務・・・

 

 実際、知らない事や間違ってる事がいくつも露呈して驚いたのだが、それはグループの中で私だけではなかったようだ。

 しかし、うちの施設では去年外部監査を通っているが、許容範囲だったということか。他施設の参加者も同じような事を言っていた。

 

 最後に女性講師は、こうしめくくった。

 ケアマネになりたくてなったわけじゃない。環境やその時の仕事の関係で、この道をたどった。研修の担当を引き受けてるからやるけど、やるからには、忙しい業務の大切な時間を割いて参加する皆さんに、受講して良かったと思ってもらいたいと思い、準備してきた。それは業務の中でも同じ。出会った利用者様やご家族様、協働する色んな職種の方々に、このケアマネに出会えてよかった、世話してもらえてよかった、一緒に仕事出来て良かったと思っていただけるように、精一杯誠意を尽くしてその利用者様の人生と関わっていく事が大事なのだと。

 この講師の回を受講出来て良かったと思った。

 すべての回で、講師陣はそう思っておられるだろう。勉強する機会を与えてもらえるのはありがたい事だ。年毎に変わりゆく福祉介護制度と社会資源に敏感でなくてはならないし、ともすればケアマネの力量が担当利用者の人生を左右する事も在り得る。しかし事業所としては慢性人員不足の中で、戦力を研修に行かせる日数分を補完しなければならない。行かせてもらうからには事業所の役にたたなければならないし、研修は対外的にこの事業所に自分がいる事を公開する場でもある。

 今一度自分の立ち位置を考える機会ともなっている。