「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

今週のお題「#平成最後の夏」 娘の就職

 大学4年の娘が来春就職するときは平成、1か月経ったら新年号の元年になる。
 思い起こせば私自身も平成元年の春、就職したのだった。

 
 数日前、いつもはラインでやり取りしている娘から電話がかかった。
「就職、決めてもいいですか」


 ラインで、採用試験に合格したとの連絡は受けていたが、その文面から、あまり乗り気ではないのかと思っていた。
 電話でのそのセリフに、
「嬉しい?」と尋ねてみた。
「嬉しい。近くの神社に何回も合格祈願に行った。今日はお礼参りに行ってきた。」
 それを聞いて、
「それなら良かった。おめでとう。」


 そうは言ったが、電話を切って、涙が出た。


 
 中学の時から成績が良かった娘は隣町の進学校へ進学したが、我が家は大学に進学させられるような家計状況ではなかった。それでも娘は国公立大学への進学を目指し、勉強した。
 センター試験で撃沈した時、人生を諦めかけた娘を、当時通っていた学習塾の先生が救って下さった。学部変更を余儀なくされたが、現在通っている大学の存在を知り、主人の実家から通える所にあることも分かって、舅の承諾を得て最後は娘自身がそこへの進学を決めた。


 姑は数年前に亡くなり、舅一人で住んでいた家に娘がお世話になることになり、60歳違いの祖父と孫娘の二人暮らしが始まった。自宅と実家は遠く離れており、二人も1年半ぶりに顔を合わせた。
 
 娘の環境適応能力の高さに関心する。
 受験に失敗したと傷心ながらも大学へ行って暫くすると、友達が出来、自分以上に複雑で色んな事情を抱えた同級生達がいる事を知って、真面目に単位を取り、成績も収めた。お陰で授業料減免が叶い、本人のアルバイト代で授業料を賄っている。


 入学から3年半、我が家の事も、実家の事も、娘を通してお互いに把握出来ている。実家の隣家の親戚とも上手にお付き合いしてくれている事も伝わってきた。


 三年生の終わり頃、久しぶりにラインが届いた。
「じいちゃんが車買ってくれた。」
 軽自動車を購入するにあたり、住所変更をしたいと言う。きっとそのころには考えていたに違いない。
 四年生になって、
「じいちゃんに世話になったから、こっちで就職する。」
 

 そう言われて、納得していた。
 でも、夏になり、こちらの県内で採用試験を受けるにあたり帰省すると連絡を受け、嬉しかった…が、残念な結果に終わった。


 新卒でも、採用試験は狭き門らしい。
 同じ課程を選択している同級生達の中でも現時点で採用が決まっているのは数名だという。今の時代は新卒より経験豊富な即戦力を求める傾向にあるのかもしれない。しかも採用枠は「一人」もしくは「若干名」だ。


「そこに住んだらどんないい事あるの?」と尋ねると、
「じいちゃんとこにすぐ行ける。」と即答。
 初めての一人暮らしに多少の不安もあるらしい。
「私、温室育ちだから。」



 いやいや、そんな事はない。
 これまで我慢せざるを得ない事多かったし、頑張って生きてきたよ。
 人生の随所における冷静な判断が、これからもきっと大丈夫だと思わせる。
 この子は十分に親離れしている。私も子離れすべき時が来ている。



 分かってる。それは分かっているんだけどね・・・


 来月私は、ようやく職場で休みがもらえ、実家へ行く予定にしている。来春娘が卒業式で着る衣装を予約し、初めて大学を見に行く。あろうことか、私が主人の実家へ行くのは5年ぶり。仕事でまとまった休みが取れないとはいえ、ろくでもない嫁である。娘が卒業後に勤める場所も知りたい。舅にも、改めて挨拶しなくては。
 娘にとっても、私にとっても、忘れられない夏になる。


 
 子育てというのは、いつ、どの時をもって、成功したと判断出来るのだろう。
 少なくとも、現時点で、私が思い育てた以上の人間に成長してくれている。