「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

今週のお題「2013年、夏の思い出」

8/31(土)はお嬢の通う高校の体育祭があるはずだった。

 土曜日は雨で、その日の夕方6時の時点で翌日曜日にするか月曜日にするかの決定、連絡をすると決まった。その決定次第では月曜日に休みを取りたい旨、上司にメールし、交代要員を探してもらってOKの返事をもらっていた。

 そして6時過ぎに日曜日に開催すると学校からの一斉メールが来たため、月曜日は出勤すると上司に伝え、交代要員を断った。

 そして日曜日。雨。突如延期。

 どうやら月曜日も降りそうとのことで、月曜日は学校が休みになり、火曜日に体育祭が開催されることになった。


 この時点で私は諦めた。


 実は、同じ職場の同じ部署の主任に、うちのお嬢の一年先輩、現在3年生にお坊ちゃまがいる。クールな彼女は、もし体育祭が週明けになったら、二人して休みを貰うのは無理だろうとサラーッと言っていた。

 金曜日の帰り際、
「もし体育祭が土、日共出来ず、月曜になったら、朝お腹痛くなって仕事休んで下さいね。」
と私は主任に言って帰った。そのときは
「ありがとう」
とだけ、軽く流された感じだったのに、後で聞いたのだが、あの一言で考えが変わったらしい。


 主任は月曜日、立場の同じ男性職員に頼んで勤務を交代してもらっていた。相手が男性なので送迎車の他運転手の出勤を頼んだり断ったりする必要性まで出てくる為、私のように、6時の決定次第で断ることは出来ないと言っていた。


 ところが、だ。


 火曜という不測の事態となり、残念な私に比べ、お坊ちゃまの最後の体育祭を見られずどんなにか落胆しているだろうと、メールしようにも言葉を見つけられずメールせずにいると、あちらから電話がかかった。


 「なんで何にも連絡がないんだろうと思って。」
と。
「は?」
と、理解できない私に、
「今、職場に来てる。体育祭、どうしても見たいんよ。」
と言う。


 火曜日の交代要員を二人OK貰った、と。私が行く気が無いなら断るけど、と。

 いやいや。そこまで話が進んでいるのに断る理由などない。
 主任の計らいで二人してまた休むことになった。


 そこから一悶着。
 主任という立場なのだから、家庭は後回しにするようにと、上司から叱られたらしい。それでも今回だけはと、休みを取り付け、以降の変更はしないようにときつく言われたらしい。


 そして火曜日、・・・雨・・・

 週に1日貰える貴重な休み、二人とも、今月3週目の休みを9/3に割り振られ、3週目はフル出勤の6連勤が決定。「年休」とか「祝日」とかいうものは、ここの職場には存在しない。


 あれこれメールでやり取りしているのを、お嬢がダンスの練習をしながら見ていた。そして
「そんなにしてまで来なくても。」
と言うので、働く母がどんなに子供を励みにしているか、子供の為に働いていると言うが、子供がいるからこそ頑張れるのであって、その晴れ舞台を楽しみに、エネルギーを貰っているのだと切々と説き、それまで聞いても教えてもらえなかったダンスや競技の立ち位置などをお嬢から聞き出した。

 
 明日水曜日は、最後の体育祭順延日となった。
 もう、見には行けない。しかも予報では雨100%。

 今週土日には文化祭を予定している為、以後は中止とのことだった。


 今回のことで、主任と近づいた感じがする。意外な母心を見たし、思い込むと、行動に出る強さも見た。上司の心無い言葉に傷ついたりもした。


 高校で体育祭をここまで本気でするところは他に聞かない。
 例年、3年生が夏休み返上で準備をするのだ。こんな進学校がどこにあろうか。だからこそ、何日も順延にしてでも体育祭を実施しようとするのだ。

 お嬢が、「先輩たち、可哀想」と言う。

 来年は自分の番。
 クラスでも、こんな事態になったばかりにありえなかった事が起こったりしたと聞いた。


 一度しかない、高校2年の夏休み。
 夏休み中沖縄へ修学旅行に行った時も、台風が来た。でも、別のことをしてそれなりに楽しんで帰って来た。


 今度の週末、土日、高校の文化祭があるが、日曜は中学の運動会もある。どうしても晴れてほしい。

 ・・・もう、出勤日変わってとは、言えないし・・・