「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

あの人は今

デイサービスでは、帰る前にその日風呂や口腔ケアで使用したタオルやお絞りを、利用者にたたんでもらう。女性利用者は張り切って畳んでくれるからありがたい。

 ある日、一人の利用者が言った。
「隣のテーブルにまでタオルを畳みに行ってたあの人、来ないね」と。
 周囲の利用者が
「そうそう。誰だっけ。名前が分からない。顔は分かるんだけど。」と言う。

 そう。
 彼女は今、他所のグループホームに入っている。
 もう半年近くも前になる。
 
 独居の彼女は デイが休みの日曜日意外の週6日「ご出勤」だった。週休2日の職員より出勤日数が多い。朝ごはんを自分で支度して食べ、パジャマを着替えて火の元、戸締りを確認・・・本人にさせて、鞄についた鍵をかけて出掛ける。だいたい彼女単発、もしくは数人いる迎えの1番手に組まれ、彼女が出られる時間次第で、後の利用者を迎えに行く時間が大幅にずれることが予想される。
 
 鞄がなくて困ったことが幾度となくあった。
 仏壇の下の開きの奥底だったり、ソファの間だったり、積み上げた布団の間に挟まっていたり。

 近くに住んでいる娘が毎晩尋ね、洗濯物を綺麗な物と使用済みとを交換する。普段私達介護員が会えない娘さんとの選択物や目薬などのやり取りは、彼女本人に見つからないよう、廊下の隅のシルバーカーのポケットでしている。一度、見つかったことがあり、彼女が取り出してどこに置いたかわからなくなってしまったので、以来細心の注意を払う。

 83歳の彼女は見かけより若く、しゃきしゃきと動く。家事も何でもする。

 ただ、忘れる。
 
 コンロに鍋をかけていることを忘れる。
 鍵のついた大切なお出かけ鞄をどこかに置いて、その置き場所を忘れる。
 
 夜中に隣に回覧板を持って行く。
 夜中に娘が帰って来ないと、隣家に訪ねて行く。

 そんなことが重なり、とうとう彼女はそこに住み続けられなくなってしまった。

 
 そんな事を、今いるデイの利用者に言えるわけもなく、私は顔も名前も思いだしたが、何も言えず、ただ、懐かしかった。

 今、どうしているだろう。

 「最近あの人、来ないけど、どうしたの?」

 認知症などのない利用者はよく覚えている。
 それは、彼女に限らず、多い。
 亡くなったとも、入院したとも言えず、毎回困る。

 いつが最後になるかわからない。
 まさに一期一会の仕事をしている。