「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

今週のお題「私のともだち」

デイサービスの大切な役割の一つに、介護者、被介護者双方のケアがある。
 被介護者である利用者を送迎する際、介護者である家族から連絡帳を預かり、自宅での様子や家族との交信の手立てとする。
 
 毎回朝迎え時に家族に口頭でその日の体調や生活での変化、注意することなどを尋ね、夕方送り時にその日の施設での様子を伝えているので、必ずしも全員が連絡帳を受け渡しするわけではない。書く手間も膨大だし。利用者本人が連絡帳の存在自体を気にしないパターンがほとんどなのだが、中に一人、そうでない利用者がいる。
 
 92歳の彼女は原爆で主人を亡くし、小学校の先生をしながら子供二人を育てあげた。子供達が独立してからは独居だったが、家土地が道路にと買い上げられたのを機に、数年前から長男家族と同居している。
 自尊心も羞恥心もある彼女は、施設で他の人と一緒に入浴しないし、介護員が家族と話す内容が気になるため、行き帰りには話し辛いので連絡帳でお嫁さんとやり取りするのだが、これは更に本人としては嫌なものなのだ。
 でも家族も色々悩んでいるため、連絡帳の存在は本人には内緒ということで、やり取りは文章のみでしている。一度その存在を知ってしまった彼女が泣いたことがあり、受け渡しには細心の注意を払うようにと徹底されている。それでも止めるわけにはいかないのだ。
 
「夜中に真っ暗な自室で座ってシクシク泣いている。尋ねても何も言わないくせに、嫁の私にこれ見よがしに。」
 それに対して、
「胸中お察しします・・・本日苑では・・・」
と返信する。実際、施設では着いた途端、周囲の利用者が
「ここ、ここ」
と彼女の名札のある席を指し、隣席ならば彼女の椅子を引いてくれたりして、迎えられる彼女としては嬉しいに違いない。一日中周囲の人と話し、レクレーションでは声を出して笑い、時には離れた席まで話しに出掛ける彼女の、もう一つの顔を、連絡帳で知ることになる。

「来客、あるいは外出のため、送りの時間を遅くして欲しい」
と書いてあることもある。しかも家族の意向でというのは隠して、と。
 洗濯物を畳んでもらったり、何かしらの理由をつけて一人居残ってもらう。後日彼女が
「帰って『バケツ持たされて立たされてたのよ』って嫁に言ったら苦笑いしてた」と言って笑っていた。
 お嫁さんと施設、利用者本人と施設の両方の信頼関係がなければ、なりたたない。
 日曜以外毎日利用している彼女にとって、施設での人の関わりが気持ちを支えていることは確かである。

 一人の利用者との契約は、その人の人生、暮らし、家族、その全てに関わり、今日一日を「いい日」にするためにある。