「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

今週のお題「センチメンタルな秋」

勤め始めて2ヶ月経過した。
 一番近い目標は1年先輩。その人も、
「絶対この職場続かんと思った」
と言った。人に慣れない。利用者もだけど職員に、と。
 まったくそのとおり。
 やはりこういう話が出来る相手が職場に一人必要だ。
 
 朝、利用者を迎えに行く時、日中の薬がある人用に一人一人薬の種類と数を明示した薬袋を用意して出る。前の日に誰かが用意して送迎車別に忘れないように置いてあるのだが、人の仕事につきもので、よく出し忘れている。
 その日、迎えに行った利用者の食前の薬がなかった。たまたまだが、薬袋も出し忘れたらしく、その日はなかった。その利用者に薬がないか尋ねると、
「そんなものは無い。病院からももらってない。わたしゃまだボケちゃおらんよ!!」
と言う。
 ・・・それがあるんだし、ボケてるんだって・・・
 
「どうして確認しなかったのか」
とセンターに帰ってひどく怒られた。
 確認? した。
「本人に聞いちゃ駄目。信じちゃ駄目。疑わないと。」
 それが悲しい現実。
 結局その日昼前に家族に連絡がついた時には食直前の薬は間に合わず、主任に謝ると、
「もう、大切な薬なのに」
と重ねて言われた。

 
 その日はもう一つ怒られるネタがあった。
 トイレに付き添って、傍をはなれちゃいけない利用者がいる。
 便器に座らせて、少し前に洗い忘れたふきんを洗ってまた傍に戻った時だった。腕を捕まれてすごい剣幕で言われた。
「ちょっと! 信じられんのだけど! この人、座ったまま気を失ったらどうするの? そのまま死んだら責任取れんでしょ。どうして離れるなんてことが出来るのか分からん!」
と。実際はずいぶん長い説教を受けた。
「この人は危ないから離れないで」
と言われれば分かるのだが。
 
 朝迎えた利用者を夕方送りに行ったとき、家族が開口一番言った。
「ごめんねぇ。私が薬入れ忘れたから。」

 利用者全員を降ろしたあと、涙が出て止まらなかった。利用者に対しても、職員に対しても、ショックだった。
 運転手が車を停めて慰めてくれた。神社の鳥居前の、少し広くなった路側帯。紅葉した木々が覆っていた。
 
 こうして毎日朝夕ドライブ。
 介護の仕事の意味と意義を模索する日々。いつか慣れ、気持ちが麻痺してしまうのだろうか。それも怖い気がする。