「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

長寿社会の問題点

 早朝寒くなった。でも日中は日が照ると温かい。冬に向かって寒くなっていくのが分かる。夏が終わってもいつまでも暑くて、気候が良くなったと思ったがすぐ寒くなりそうだ。

 ベランダに出る所のガラスがひどく汚れているのが以前から気になっていた。

 水拭きの後、ガラスクリーナーを吹きかけて拭きあげる。

 玄関も掃除しようとしたのだが、水を流してタイルをこするためのクレンザーを買い置きしてなかった事が判明し、やる気が失せた。

 庭の草引きを始めると風邪が冷たくて陰は寒い。

 日の当たる芝生の延びた所を芝刈りハサミで切り始めると突然柄が折れた。

 私の心も折れた。

 

 花切りハサミで芝の端だけ切り揃えていると「こんにちわ」と声がした。

 おしゃれな若い女の子が通りすがりに私に挨拶してくれた。

「こんにちわ」と返して芝に向き直ったのだが、二度見。

私    「え、いゆちゃん?」

いゆちゃん「はい、いゆです」

私    「わあ、久しぶり。分からんかった。声かけてくれてありがとう」

いゆちゃん「ふふ。声くらいかけますよ」

 近所に住む、娘と同級生のいゆちゃんは一人っ子で、学校も仕事もずっと自宅から通っている。

 近所なのになかなか顔を合わせる機会がなかった。

 我が娘もあんな風におしゃれして出かけてるのかな。もう1年以上帰省せず、顔が変わってるかも・・・

 

 道の向かいの家から言い争ってるような声がする。

「そんなん、90過ぎの年寄りがする事じゃないよ!」だけハッキリ聞こえた。

 それに対抗するような少ししゃがれた声がするので、こんな風に言い争う事があるのかと思った。おばあちゃまと2人の娘様が同居しておられる。娘様といっても90過ぎのおばあちゃまの娘様なのでそれなりの年齢だ。私でさえ労わられたいのに・・・

 円背のおばあちゃまが手押し車を押して歩く姿を時々見かけては安否確認してる気がしていた。娘様とも挨拶はするがお互い深入りはしない。あまり笑わない方なのかなという印象を受けていたのだが、今日、その訳が分かったような気がした。

 娘様の言葉は家族だから強い口調になるのだろうが、心配から出る言葉そのものだ。

 施設で日々高齢者と向き合う私には、他人だから優しく言える、穏やかに向き合えると思う事が多々ある。

 高齢者でも、自分でできる事は自分でしたいだろう。自宅にいればなおのこと、ずっと前からやり続けてきたことを習慣としてやる。それは当たり前の事なのに、もし転倒したら、もし火を消し忘れたらと心配して、家族はやらせたくない。そしてしなくなる。そして出来なくなる。そして時間を持て余す。そして考えなくなる・・・

 

 おばあちゃまは昔から働き者だったに違いない。今もこんな風に動いているから認知症にもならず頭も体もお元気なのだ。

 申請しても介護認定はおりないだろうことは予想出来る。

 介護予防対象にもなりそうにない。

 事業対象者がいいところだと、仮にも考えてしまうのは職業病かもしれない。

 しかし娘様は日々ご苦労をされているのかと思うと、このままでいいとも言い難い。

 

 介護職になって、介護が必要な高齢者とその家族にばかり関わってきた。

 しかし、実際に介護を必要とする前段階の高齢者や、その高齢者がいなければ、する必要もなかった心痛を強いられている家族が、今の長寿社会では相当数いるだろう。

 子育てと介護は家族の苦労が取り沙汰され考慮もされるが、介護前段階に関しては、表に出てこない。終わりが見えない、辛い毎日だと思う。

 でも誰も、特に他人は入る余地はない。

 家族も、外で言わない。

 色々考えて、何だかすっきりしない休日だった。