「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

夜勤明けと休日

 夜勤が明けた。でもその日の午後職員全員を対象とした月に一度の会議がある。自身の休みの日でも出席を求められるが、出席出来ない旨を前もって伝えておけば欠席も認められる。夜勤の入り、明けにあたる職員は無条件で欠席が認められるのだが、私は立場上出席を求められるし、その場でしか話されない内容も多いため、把握しておかなければならない内容も多い。夜勤の入りの日に当たらなければ夜勤明けでも休みでも出席する意向を前もって伝えてあるので、入りだけを避けて勤務を組まれている。

 で、今月は明けの日だった。

 夜勤の間に入居者全員の服薬の準備をした。医院から届いた一か月分の処方を確認し、今後一週間分の個別の服薬を起床後、朝食後、昼食後、夕食後、寝る前の個人別、時間別に小袋に分けて、個人別の棚に並べる。届いていないもの、処方に含まれていなかったものをメモに書きだしておいた。夜勤明けに医院へ連絡するつもりだったのだが、その連絡を朝医院が開いてから連絡するようホーム長が引き受けて下さったお陰で残業せずに帰れた。

 帰って速攻で寝た。3時間は寝られる計算だった。

 

 アラームが鳴った時、何だか頭が重い気がした。いつもの明けの日は寝ている時間帯だ。どうしようと思いながらも職場へ向かった。

 

 会議の間黙って過ごし、会議後に、ホーム長が手配して下さった薬の中で夜勤中にできなかったものを準備して帰った。

 会議の超過勤務は算定されるが、薬の準備にかかった1時間は算定されない不思議。

 

 帰って夕飯の支度を始めると息子が薬を飲んでいる。体調不良で夕飯食べたくないと言う。食べたければ先に食べといてなんて言うけど、2人だけの家族なんだから1時間くらい遅くなっても一緒に食べたい。

 

 そして1時間半後、少し回復したようで、食べて2人共早めに風呂に入って寝た。

 

 翌日は土曜日。私は明け休み。夜勤の翌日は基本、公休が組まれる。息子は隣県へ現場見学に行った。学校で希望者を募り今回は20人程で施工途中の橋梁を見に行く。時々こうやって見に出かけ、両方向から出来た橋を合わせる貴重な瞬間に立ち会わせてもらった事もある。

「休みの日までこうやって出かけて行くんだから、俺ら勤勉よな」と言っている。甘ったれだ。

 本当に大切な勉強はこういうものなんだろうね。日頃の講義時間中に行ければいいけど、学校には講義毎の持ち時間や進度があるだろうし、どこでどんな工事があるか、その工程を見られるかもその時になってみなければ分からないのだから、どうしても講義の無い日に設定される。現場に入れるのは先生のお陰なのだから、むしろ休みの日まで連れ出して頂けるのは有難いし、先生もお疲れさまだと、私は息子に伝えた。

 

 朝、私は頭痛があった。息子が「移した?」と言っている。今日私は予定がないので一日自宅で過ごせる。先日足の痛みの為に処方された痛み止めを飲んで昼頃には頭痛を忘れていた。

 最近、体力に自信がなくなり、休みの日は極力予定を入れずにいる。でも来月の勤務は他事業所の事務が入る都合上、夜勤明け翌日に事務に入る日があると言われている。

 休みは体調を整え、勤務に支障をきたさない為にある。

 ただそれだけの為に今日を過ごし、明日は早番で出勤する。しかも人員不足の為に超過勤務になる予定。

 

 もっと若くて体力があった頃には、休日に予定をばっちり入れてそれを楽しみに仕事を頑張り、出かける事が逆にエネルギーチャージとなって次の勤務を頑張れていた。

 いつからこんなに変化してきたのか分からない。

 今、このブログを書き、皆さんのブログにお邪魔することが、休日の密かな楽しみともなっている。