「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

親の最後を考える

昼休み、今年認知症介護実践者研修に参加しているホーム長が、研修テキストを

「自由に読んで」と事務所に置いていた。

 その表紙に鉛筆で小さく書いてあった言葉が気になった。

「人生 生かされている時間は 自分が自由にできる時間」

 

 役所を定年退職後にこの施設に再就職して初めて介護に携わり、深く考える事が増えたという。

 そして今、ご自身の親御様の事で悩んでいる。

 気力、体力共に衰えてきた。

 次第に食欲がなくなり、親御様ご自身は、食べられなくなったら人生終わりと考えておられ、意思表示もされている。

 ちょっと前なら・・50年前なら・・・食べられなくなったら布団の上で、口元で水分を少しずつ与えながら自然に終わりの時を待っただろう。

 しかし、親御様は意思表示が出来る。孫の写真を見たら理解出来喜ぶ。ただ食べる事が出来なくなった。

 この状態で死ぬのを待つだけでいいのか。

 このご時世でそれをすると犯罪になりかねない。

 医療の進歩と共に選択肢が広がり、家族の葛藤も増えた。

 

 10年以上前、抗ガン治療をしながら告知から5年半頑張って姑が亡くなった時、舅が言った。

「医療によって生かされるのも辛い」と。

 余命半年と告知された時には、少しでも長く生きて欲しいと始めた抗がん治療だった。

 

 この仕事をするようになって、多くの生き方や逝き方を見て来た。

 どうするのがいいか、いまだに分からない。