「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

学費免除と給付奨学金に助けられる

 高専専攻科の息子は、学校からの勧めにより日本学生支援機構によるスカラネット給付奨学金に応募手続きをした。

 これまで高専5年までの本科では学校の授業料減免制度を利用していた。

 専攻科に進学してもそれがあるのか気にかかっていたのだが、同じように利用出来る上に、初めて奨学金を受けられるよう紹介いただいた。

 数年前息子は「(授業料を)払えるようになってくれ」と言っていたのだが、今となっては先生から紹介があったと、書類を持ち帰ってくれる。

 親としては、情けないやら恥ずかしいやら、申し訳ない気持ちもないまぜになるのだが、背に腹は代えられない。

 

 娘にもずいぶん我慢を強いた。

 我が家はとうてい大学へ行けるような家計ではない。

 それでも娘は中学から進学校へ行き、大学を目指した。

 国公立大学でなければという気概が本人にあった。

 ・・・センター試験で撃沈した・・・

 数日泣きあかした。が、2次試験願書は待ったなしだった。

 学部変更を余儀なくされたが、最終的に公立大学を本人が選んだ。

 舅の同意を得て、舅と孫娘の2人暮らしが始まった。

 娘を通して、それまで離れた所で独居だった舅の状況も分かり易くなった。

 

 行ってみて、娘の世界は広がった。

 自分以上に働きながら講義や実習をこなす学生がいる事に気付き、また、2浪までしてその大学を選んで入学した同級生がいる事にも驚いていた。

 入学説明会で学費減免制度がある事を知り、半年毎に手続きをして4年間半額で卒業した。年54万円の半額=27万円を半期毎に支払うので、半年で13万数千円をバイト代から支払う。やはり国公立はありがたい。

 制度の恩恵を受ける為には審査があり、主に生計維持者の年収と本人の成績なのだが、私の収入は間違いなく減免対象レベルであり、センター試験で撃沈したせいで高望みを絶たれた娘は、結果として通った大学で随分優秀だった。

 4年の間、いつ辞めると言い出すかと気になっていたのだが、学校やバイト先で出会った方々が良かったのだと思う。単位を取り、ハードな実習もこなし、公務員試験、国家試験を経て社会へ出た。

 「じいちゃんに世話になったから」と、舅宅は出たがその県内に就職した。

 就職後も舅の受診や検査に付き添い、詳しい結果をこちらに送って来る。

 親が思う以上に娘はずっと前からしっかりしていた。冷静に考える力を備えていたのだと思う。

 何が災いするか、幸いするかは分からないものだ。

 

 大学を卒業して独り暮らしが始まる時、娘は少々不安な様子で

「私、温室育ちだから」と笑った。私は救われた思いだった。

 子供が一生懸命勉強をしているのを知りながら、行きたい大学へ、行きたい学部へ行かせてやれないのは、親としては悔しいやら悲しいやら情けないやらだが、どうしようもなかった。

  

 今、この社会情勢で我が家以上に辛い思いをしている家庭があると思う。

 利用出来る制度があるならば、その情報を本人に知らせてほしい。

 貧困は連鎖する。でも救いの手を差し伸べて貰えて本当に助けられた。

 使える手は全て使って、人の手も、制度も、全て使って、人一人の可能性を伸ばして欲しい。