「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

施設から病院へ

 退院と同時に施設に戻ってきたとふさんが、またご飯を食べない。

「美味しい」と言う時もあるのに、数口で口を貝のように閉じてしまう。

 医師に報告すると点滴の指示が出た。何日も食べようとせず点滴が続くのでまた病院にかかると、療養型への入院を勧められた。

 転院先へ、施設でのとふさんの既往歴や状態等を記したサマリーを作成して届けるのも介護支援専門員の大切な仕事の一つである。

 休診日だった為、ナースステーションを訪ねて封書を手渡し、とふさんの状態や本人に会えるか尋ねてみた。とふさんは私を見るなり顔を上げ手を振ってくれた。傍に行くと私の手をぎゅっと握る。多床室の為小声で話しかける。極端に難聴のとふさんにはきっと聞こえていないのだが、私の顔や口元を見ては頷いてくれる。でもすぐ目を閉じてしまった。転院後もご飯を食べようとせず、介助しても進まないため点滴したが、その針を自分で引き抜いてしまったそうだ。食べないのだから体がきついに違いない。目を閉じても私の手を握っているとふさんの手の力の強さが不思議だった。

 偶然だがもう一人この病院に1か月半前にうちの施設から移った利用者が居る。看護師さんにお願いして案内していただいた。

 誤嚥による発熱の為に急性期病院を経て療養型に移ったなださんは、鼻からチューブが挿入され、両手にミトンをはめて眠っていた。数度の看護師さんの呼びかけで目を開けたのだが、うつろな表情の顔の前で手を振り顔を近づけて呼びかけても視界に入らない様子で、遠くを見るような目をしていた。施設で意志をはっきり表明し不自由な体でも懸命に動こうとしていたなださんとは、別人になっていた。

 施設に戻り、見て来た2人の様子を職員に伝えた。

 人間らしく過ごすという事を改めて考えた。

 入居者は自身の体の不自由を感じながらも動こうとして上手く動けず、施設でも病院でもそれを危険な行為として認識する。今私はこういう立場だから入居者の「その後」を見て考える機会があるが、施設職員の大半は頭では理解していても自分の心が動く機会は無い。

 見るべきだ。そして感じるべきだ。頭で理解しているのとは違う感情が生まれるはずだ。

 寿命が延び、医療によって生かされる時代になった。そこに意志はあるか、感情は生きているか。

 介護職の役割は大きいと確信した。